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①金堂 | 南大門をくぐった正面にその荘厳な姿を見せる金堂は、8世紀後半の創建時の姿を残す代表的な建築物です。 外観は、正面間口七間(中央間は約4.7m、両端へは次第に狭くなり、3.3m)、奥行き四間の寄棟造で、前面一間通りが吹き放ち、軒を支える組み物は三手先(みてさき)と呼ばれる形式で、その建立年代を示しています。 堂内は、連子窓から取り入れられた柔らかな光に満たされ、中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像(いずれも国宝)が並ぶ姿は、天平時代を彷彿させる厳かな雰囲気に包まれています。 |
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②講堂 | 平城宮の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築・改造したもので、開放的な空間となっています。 外観は平屋の入母屋造で、現在の姿は鎌倉時代の改造によるところが大きいといわれます。 天平時代、平城宮の面影をとどめる唯一の建築物としてきわめて貴重な存在です。 内部は、本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)の他、多くの仏像が安置されています。 |
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③鼓楼 | 金堂・講堂の中間の東側に建つ、2階建ての建築物です。名称は「鼓楼」ですが、現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれています。
外観は、上下階とも扉と連子窓(れんじまど)で構成され、縁と高欄が取り付けられています。堂内の厨子には、仏舎利を収めた国宝の金亀舎利塔(きんきしゃりとう)が安置されています。 |
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④礼堂 | 鼓楼の東に位置する南北19間の細長い建物の南側8間が礼堂、北側10間が東室、その間の1間は、馬道(めどう)と呼ばれる通路になっています。 講堂を挟んだ西側にも同様の建物があり、僧房として使われていました。 礼堂は、隣の鼓楼に安置された仏舎利を礼拝するための堂で、内部に釈迦如来立像(重文)・日供舎利塔を安置しています。 |
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⑤御影堂 | 境内の北側に位置する土塀に囲まれ、ひっそりとした瀟洒な建物。元は、興福寺の別当坊だった一乗院宸殿の遺構で明治以降は県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使われたものを昭和38年(1964)移築復元したものです。 現在は、鑑真和上坐像(国宝)が奉安されており、昭和46年から57年にかけて東山魁夷画伯が描かれた、鑑真和上坐像厨子扉絵、ふすま絵、障壁画が収められています。 |
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⑥経蔵 | 礼堂の東側に宝蔵とともに並んで建つ高床式の校倉(あぜくら)で、小さいほうが経蔵です。 唐招提寺創建以前の新田部親王邸の米倉を改造したものといわれ、唐招提寺で最も古い建造物であり、日本最古の校倉です。 |
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⑦宝蔵 | 経蔵とともに並んで建つ校倉で、北側の蔵です。 唐招提寺創建にあわせて建立されたといわれ、経蔵より一回り大きいその堂々たる姿は、校倉の典型といえます。 |
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⑧戒壇 | 金堂の西側にある戒壇は、僧となるための授戒が行われる場所です。創建時に築かれたとされていますが、中世に廃され、その後再興されたものの火災により建物は失われました。 現在は、3段の石壇のみが残り、その上に昭和53年(1980)にインド・サンチーの古塔を模した宝塔が築かれました。 |
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⑨開山御廟 | 境内の北東の奥まった静かな場所に位置する鑑真和上の墓所。 同時期の高僧の中では唯一、1250年の永きに亘って、参拝する人が途絶えません。現在は御廟前に和上の故郷・揚州から贈られた瓊花が植えられ、初夏にその可憐な花を咲かせます。 |
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⑩南大門 | 唐招提寺を訪れた人がまず目にする建造物。昭和35年(1960)に天平様式で再建されたもので、五間の中央に三扉とする、切妻造りの建物です。 現在掲げられている扁額は複製で、実物は講堂内に収蔵してあります。 |
近畿日本鉄道橿原線西ノ京駅下車徒歩8分
唐招提寺(とうしょうだいじ) |
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創建年:759年 | 開基:鑑真 | 本尊:廬舎那仏 | 別称:・・・ | 宗派:律宗 |