① 三門 |
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応永32年(1425年)に足利義持が再建し、現存する禅寺の三門としては日本最古のものである。上層に釈迦如来と十六羅漢を安置する折衷様の五間三戸二重門である(「五間三戸」とは正面の柱間が5つ、うち中央3間が通路になっているという意味、「二重門」は2階建ての門だが、「楼門」と違い、1階と2階の境目にも軒の出を作るものを言う)。
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②本堂 |
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明治14年(1881年)に仏殿と法堂が焼けた後、大正6年(1917年)から再建工事にかかり、昭和9年(1934年)に完成した。入母屋造、裳階付き。高さ25.5メートル、間口41.4メートルの大規模な堂で、昭和期の木造建築としては最大級のもの。天井の竜の絵は堂本印象筆である。本尊釈迦三尊像(中尊は立像、脇侍は阿難と迦葉)は、明治14年の火災後に万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作である。
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③方丈 |
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明治23年(1890年)の再建。正面前庭にある唐門は明治42年(1909年)に造営され、昭憲皇太后より下賜されたものである。庭園は近代の造園家、重森三玲によって昭和13年(1938年)に作庭され、方丈を囲んで四方に配される。釈迦成道を表現し、八相の庭と命名されている。鎌倉期庭園の質実剛健な風格を基本とし、これに近代芸術の抽象的構成をとり入れた枯山水庭園である。
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④常楽庵(開山堂含) |
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主要伽藍の北側に位置する。開山円爾像を安置する開山堂とその手前の昭堂を中心とした一画。文政2年(1819年)焼失後、同9年(1826年)までに再建された。昭堂の中央部分は2階建の楼閣となっており、伝衣閣(でんねかく)と称する。金閣(鹿苑寺)、銀閣(慈照寺)、飛雲閣(西本願寺)、呑湖閣(大徳寺塔頭芳春院)と並び「京の五閣」といわれている。
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⑤禅堂 |
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貞和3年(1347年)に再建された豪壮な姿に往時の隆盛がしのばれる単層・裳階(もこし)付切妻造の建物で、中世期より現存する最大最古の禅堂である。
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⑥東司 |
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室町時代唯一、日本最大最古の禅宗式の東司(便所)の遺構で、多くの修行僧が一斉に用を足すことから百雪隠(ひゃくせっちん)とも呼ばれる。内部は中央通路をはさんで左右両側に円筒の壺を埋める。
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⑦浴室 |
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前面を入母屋造、後方を切妻造にした単層本瓦葺の建物で、長禄3年(1459年)に建てられた京都最古の浴室建築の遺構として知られる。内部は正面板敷きの上に2つの蒸し風呂が並び、後方に釜と焚き口がある。
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⑧六波羅門 |
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南正面に立つ本坊伽藍の最南端にある鎌倉時代前期の門で、もと北条氏の六波羅政庁にあったものを移したことから、この名で呼ばれている。
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⑨偃月橋 |
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本坊より塔頭、龍吟・即宗両院に至る三ノ橋渓谷に架かる単層切妻造・桟瓦葺きの木造橋廊である。1603年に再建、1967年に重要文化財に指定され、日本百名橋にも選ばれている。
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⑩通天橋 |
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仏殿から常楽庵に至る渓谷・洗玉澗に架けられた橋廊で、天授6年(1380年)に春屋妙葩が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝えられる。昭和34年(1959年)台風で崩壊したが2年後に再建、その際橋脚部分は鉄筋コンクリートとなった。
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