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①御社殿 
 
第一本宮より第三本宮まで縦に、第四本宮は第三本宮の横に並ぶという他に例を見ぬ縦並びの配置で、各本宮とも御本殿は”住吉造 ”と称せられる神社建築史上最古の特殊な様式で、何れも国宝に指定されている。
住吉造というのは、丹塗・檜皮葺・直線型妻入式で切妻の力強い直線をなした御屋根に置千木と5本の四角堅魚木(かつおぎ)を備え周囲に回廊なく、板玉垣をめぐらし、さらにその外に荒忌垣があり、正面で”住吉鳥居”と称せられる特有の四角鳥居に接続している。
②反橋  
住吉の象徴として名高く太鼓橋とも呼ばれている。長さ20m、幅5.5m高さ3.6m、現在の石の橋脚は慶長年間淀君が奉納したものが伝えられている。池の畔 に川端康成”反橋”の文学碑が建っている。
③住吉御文庫 
 
第一本宮の北に建つ二階建・土蔵造の御文庫で、享保八年(1723)に三都 (大阪・京都・江戸)の書林が奉納、大阪最古の図書館として有名。
④高庫   
第一本宮裏の森の中にある二棟の板校倉造で、井楼造ともいわれている。御神宝を納める庫にて、室町時代の建物と伝えられている。平成十一年(1999)招魂社と共に大阪府指定文化財になった。 
⑤石舞台 
 
日本三大石舞台の一つで舞楽を奏するところです。南門・東と西の楽所と共に慶長年間豊臣秀頼が奉納、重要文化財です。 
⑥楠くん社 
 
第一本宮の裏にある樹齢千年の楠を御神木としてお稲荷様を祀り、商売繁盛に格別の御神徳あり、俗に”初辰さん” と称えられて毎月初の辰の日には多数の参詣で賑わい、特に四十八回の月詣りは有名。
⑦種貸社 
 
苗見社とも称し、五穀の種が授かる信仰がもととなって、商売の資本を得たり、種貸人形を受けると子宝を授かる信仰があるとのこと。 
⑧大海神社   
山幸海幸の神話で有名な海の神豊玉彦、豊玉姫を祀り、本社についで御神格の高い社です。御本殿は本社と同じ形式の”住吉造” で、重要文化財に指定され、社前の”玉の井”は海神より授かった潮満珠を沈めたと伝えられている。





阪堺電気軌道
阪堺線 住吉鳥居前停留場 (徒歩0分)
上町線 住吉公園駅 (徒歩2分)
阪堺線・上町線 住吉停留場 (徒歩4分)

南海電鉄
南海本線 住吉大社駅 (徒歩3分)
高野線 住吉東駅 (徒歩5分)



住吉大社(すみよしたいしゃ)

住吉大社(すみよしたいしゃ)は、大阪府大阪市住吉区住吉にある神社。式内社(名神大社)、摂津国一宮、二十二社(中七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

全国に約2,300社ある住吉神社の総本社であるほか、下関の住吉神社、博多の住吉神社とともに「日本三大住吉」の一社。また毎年初詣の参拝者の多さでも全国的に有名である。

別称として「住吉大神宮(すみよしのおおがみのみや)」ともいい、当社で授与される神札には「住吉大神宮」と書かれている。また、地元では「すみよしさん」または「すみよっさん」と呼ばれる。

仲哀天皇9年(西暦200年)、神功皇后が三韓征伐より七道の浜(現在の大阪府堺市堺区七道、南海本線七道駅一帯)に帰還した時、神功皇后への神託により天火明命の流れを汲む一族で摂津国住吉郡の豪族の田裳見宿禰が、住吉三神を祀ったのに始まる。その後、神功皇后も祭られる。応神天皇の頃からの大社の歴代宮司の津守氏は、田裳見宿禰の子の津守豊吾団(つもりのとよあだ、つもりのとよのごだん)を祖とする。

当社は古代大和王権の外交・航海に関連した神社で、遣隋使・遣唐使の守護神であり、津守氏は遣唐神主として遣唐使船に乗船した。遣隋使・遣唐使は、大社南部の細江川(通称 細井川。古代の住吉の細江)にあった仁徳天皇が開いたとされる住吉津(「墨江ノ津」「住之江津」すみのえのつ)から出発する。住吉津は、上代(奈良時代・平安時代初期)は、シルクロードにつながる主な国際港でもあった。

社前は今は完全な市中だが、江戸時代までは境内馬場(現在の住吉公園)は海に面し、白砂青松の風光明媚の代表地とされ、その風景の絵模様は「住吉模様」と呼ばれた。また紫式部『源氏物語』には明石の君に関連した重要な舞台として描かれている。また『一寸法師』は子宝に恵まれなかった初老の夫婦が住吉大社に参り、子供を出産し、その子供が住吉津から細江川を下って大阪湾に出、淀川をのぼり、京都へ向う話である。

清和源氏武士団を最初に形成した源満仲は、摂津守であった天禄元年(970年)に住吉大社に参籠し、住吉大神の神託により摂津国多田(兵庫県川西市多田)を源氏の本拠地としている。宮司の津守氏は神官であると共に一族は武士も輩出しており、源満仲の三男で河内国壺井(大阪府羽曳野市壺井)を本拠地とした源頼信を祖とする河内源氏とは源為義の頃には婚族の関係にあった。河内源氏の後裔で鎌倉幕府を開いた源頼朝が建久6年(1195年)3月の上洛の際、住吉大社に多数の御家人を集め流鏑馬を行っている。

元寇の際は、社前の住吉の浜(住之江の浜)において海神の住吉大神に蒙古撃退の「浜祈祷」が行われた。鎌倉時代末期には幕府の公認で住吉社造営費用獲得のため、元へ交易船が派遣された(寺社造営料唐船)が、帰国時には幕府は滅亡しており、後醍醐天皇の綸旨をもって住吉社造営費にあてられている。

南北朝時代は、宮司の津守氏の館の住之江殿(正印殿)に南朝の後村上天皇の行宮が置かれ、約十年間南朝方の御座所となり、南朝の主要拠点の一つになる。次の長慶天皇は住吉で即位。また瀬戸内海の水軍系武士には住吉神を奉じる者も多く、南朝方の瀬戸内連絡網の根拠となった。

南朝方であったことから足利時代は、幕府からの制圧を受け、社領も大幅に削減され、現在の境内地と馬場(現:住吉公園)の規模とされる。(2014.2.1訪問)


創建年:(伝)神功皇后11年 主祭神:住吉大神
②反橋
①第二本宮
⑧大海神社
⑤石舞台
①第四本宮
①第一本宮
第三本宮
④高庫
⑥楠珺社










































































































































③住吉御文庫
⑦種貸社
⑥楠