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①本堂 
 
 1棟。「那智山青岸渡寺本堂」(附 厨子1基)として1904年(明治37年)2月18日、重要文化財(建造物)に指定。桁行九間・梁間五間、一重・入母屋造、向拝一間、こけら葺。天正18年(1590年)建立
②宝篋印塔  
 
1基。「那智山青岸渡寺宝篋印塔」として、1953年(昭和28年)3月31日、重要文化財(建造物)に指定。元亨二年(1322年)の銘がある。






JR紀勢本線 紀伊勝浦駅から熊野交通バス「那智山」行きで30分、「那智山」下車
国道42号のJR紀勢本線 那智駅前交差点から山手へ入り、那智川ぞいに約8キロメートル




青岸渡寺(せいがんとじ)




青岸渡寺(せいがんとじ)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺院。西国三十三所第一番札所。山号は那智山。本尊は如意輪観世音菩薩。

本堂および宝篋印塔は国の重要文化財。ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の一部

熊野三山の信仰が都の皇族・貴族に広まったのは平安時代中期以降であり、青岸渡寺および隣接する熊野那智大社についても創建の時期等については判然としない。伝承では仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したという。後に推古天皇の勅願寺となり、6世紀末 - 7世紀初に生仏聖(しょうぶつひじり)が伽藍を建立し、丈六の本尊を安置して、その胎内に裸形上人感得の如意輪観音を納めたという。以上はあくまでも伝承であるが、那智滝を中心とする自然信仰の場として早くから開けていたと思われる。中世から近世にかけて、隣接する熊野那智大社とともに神仏習合の修験道場であり、如意輪堂と称されたその堂舎は、那智執行に代表される社家や那智一山の造営・修造を担う本願などの拠点であった。

明治時代に神仏習合が廃されたとき、熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社、熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが、熊野那智大社では如意輪堂が破却を免れ、のちに信者の手で青岸渡寺として復興した。寺号は秀吉が大政所の菩提を弔うために建てた高野山の青巌寺に由来すると言われる。(2014.11.5訪問)


創建年:伝・仁徳天皇治世(4世紀) 開基:伝・裸形上人 本尊:如意輪観音菩薩 別称:・・・ 宗派:天台宗
宝篋印塔











































































































































































三重塔から那智滝
那智大社から青岸渡寺
納骨堂
鐘楼
熊野古道
①本堂
楼門