①本堂 
 

現在の本堂は1363年に建てられたものだと言われており、明治以後荒廃していたが、1969年に開基千年を記念し解体修理され、朱色も鮮やかになっている。
 
②弁天社 
 

古くから弁財天の祈願所と定められており、都七福神の一つである。
 
 





六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)
銭洗い弁天像


京阪本線清水五条駅下車、徒歩10分。

京都市営バス(80・急行100・202・206・207系統)・
京阪バス(83・83A・85・85A・86・86A・87・87A・87B・88・88B・88C系統)「清水道」バス停より徒歩7分

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六波羅蜜寺 (ろくはらみつじ)は、京都府京都市東山区にある真言宗智山派の寺院である。山号は補陀洛山。本尊は十一面観音。開基(創建)は空也。西国三十三所第17番札所。

踊り念仏で知られる市聖(いちひじり)空也(くうや)が平安時代中期の天暦5年(951年)に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来し、当初西光寺と称した。空也は疫病の蔓延(まんえん)する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったという。空也は応和3年(963年)に鴨川岸に僧600名を集めて大規模な大般若経供養会を行ったが、この時をもって西光寺の創建とする説もある。当時、鴨川の岸は遺体の捨て場であり、葬送の場であった。

空也の死後、977年に比叡山の僧・中信が中興して天台別院とし、六波羅蜜寺と改称した。それ以降天台宗に属したが、桃山時代に真言宗智積院の末寺となった。平安末にはこの付近に、六波羅殿と呼ばれた平清盛ら平家一門の屋敷が営まれた。またのちに鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれたのもこの付近である。名称は仏教の教義「六波羅蜜」という語に由来するが、この地を古来「六原」と称したことに由来するとも考えられている。

江戸時代までは大伽藍を連ねたが、明治維新の廃仏毀釈を受けて大幅に寺域を縮小した。現在、寺の周囲は民家に囲まれて境内は狭く、主な建物は本堂(南北朝時代、重文)と弁財天堂、宝物収蔵庫のみである。本堂は、外陣を板敷きとし、蔀戸で仕切られた内陣を一段低い四半敷き土間とする天台式建築で貞治2年(1363年)の再建である。

木造十一面観音立像

平安時代。10世紀頃の作風を示し、伝承のとおり、951年に空也が創建した西光寺の本尊像であると思われる。本堂中央の厨子に安置され、12年に一度辰年にのみ開帳される秘仏である。像高258cmの巨像でありながら、頭・体の根幹部を一材から彫り出す一木造とする。表情は温和であり、平安前期彫刻から平安後期の和様彫刻に至る過渡期を代表する作例である。歴史的にも重要な作例として1999年、国宝に指定された。(2016.6.15参詣)
創建年:951年 開基:空也 本尊:十一面観音 別称:六はらさん 宗派:真言宗智山派
①本堂
十一面観音菩薩像
地蔵
②弁天社