京都丹後鉄道久美浜駅より、徒歩約15分。

国道178号あるいは312号から久美浜町内へ入って1.5km。

①本堂   

1670年(寛文10年)、1791年(寛政3年)に改築の記録がある。1918年(大正7年)、大雨で倒壊。現存の堂は1927年(昭和2年)、当時の様式そのままに再建されたもので、昭和51年解体修理し移築された。本尊十一面観音立像は秘仏で、像高二尺八寸の一木造。行基作の寺伝があり、眼守護の利益(りやく)があるという。1918年に本堂裏山が崩れた際、高さ一尺四寸三分の銅尖塔が出土した。 

②不動堂 
 

1984年(昭和59年)、中村淳治により新改築。和様・禅宗様・大仏様の三様を折衷した重層宝形造である。「空海の爪彫り」と伝える石造不動明王像(日切不動)を安置する。 
③仁王門 
 

1953年(昭和28年)、1976年(昭和51年)、古い様式をとどめたまま修理された。 

 
如意寺(にょいじ)
子安地蔵
六体地蔵
③仁王門





六角堂
鐘楼
庫裡
②不動堂
①本堂
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如意寺(にょいじ)は、京都府京丹後市にある、高野山真言宗の寺院である。関西花の寺二十五カ所の第7番である。

寺の縁起によれば、天平年間(8世紀)、行基が当地に滞在していた時、山上より霊火が出て海に入り、また海より出て山に昇る奇瑞を見て、漁師に網を引かせたところ、如意宝珠が得られたという。そこで行基は伽藍を建立して如意宝珠を納め、宝珠山如意寺と号したとされる。本尊は行基の一刀三礼三年と伝えられる十一面観世音菩薩である。 鎌倉時代後期の永仁3年(1295年)、伏見天皇は正四位行左馬頭藤原定成を勅使として「如意寺」の勅額を下賜した。当時は寺領500石、院家十二坊の伽藍を有していたが、応永34年(1427年)の兵火で多くを焼失した。しかし、戦国期の天文、江戸時代の寛文・寛延・寛政、また明治後期に復興事業が行われ、今日に至っている。現在の伽藍は、1963年(昭和38年)より旧地の観音山(久美浜湾西岸)から末寺大円寺跡である飛地境内地に順次移転したものである。(2016.5,17参詣)

創建年:(伝)天平年間 開基:(伝)行基 本尊:十一面観音菩薩 別称:日切のお不動さん 宗派:高野山真言宗




水子地蔵