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① 拝殿  
当社の象徴のような赤い柱の拝殿に着きます。拝殿下左右には、天保十二年、八馬(はちうま)七兵衛等の奉納になる青銅製狛犬と、白鷹酒造の辰馬悦叟氏志願奉納の青銅製の馬が夫々一対参拝者を迎えています。この馬の製作は皇居前広場の大楠公像の馬の作者である後藤貞行です。 明治三十二年四月から神社境内に作業所特設の鋳造場も設けて十一月に完成させています。狛犬と共に戦時供出も免れ、今日に至っています。  
②表大門 
 
札場筋脇、御輿屋(おこしや)跡地から旧西国街道を西に約二百米、正面に西宮神社表大門(おもてだいもん)が現れます。
通称赤門(あかもん)と云われる表大門は、桃山建築の遺構をのこし、その左右に連なる大練塀(おおねりべい)と共に、重要文化財に指定されています。 
③ 瑞宝橋
 
神池は南北朝から室町期の頃に造られ、大きな島が三つある三島一連のかたちで、蓬莱山水の様式といわれています。島と拝殿正面を結ぶ線に「瑞寶橋」があります。明治四十年、青銅製神馬奉納者辰馬悦叟氏がこれも奉納されましたが、どこか意に沿わない所があったようで、二代目辰馬悦蔵氏が遺志をついで改修、大正十一年石橋青銅欄干の反橋が完成しました。 






阪神電気鉄道西宮駅より南西方向徒歩約5分
JR西日本さくら夙川駅より南東方向徒歩約8分

なお、十日えびすの時期には、阪急伊丹駅・JR西日本西宮駅・阪急西宮北口駅から臨時バスが運行される。



②表大門
沖恵美酒神社
雨宮神社
京都府
西宮神社(にしのみやじんじゃ)




西宮神社(にしのみやじんじゃ)は、兵庫県西宮市にある神社である。日本に約3500社ある、えびす神社の総本社(名称:「えびす宮総本社」)である。地元では「西宮のえべっさん」と呼ばれる。なお、戎信仰については、西宮神社の「蛭子系」の他にもいくつかの系統が存在する

創建時期は不明だが、延喜式内社の「大国主西神社」に同定する説がある。現在、境内末社の大国主西神社が式内社とされているが、後述のように西宮神社自体を本来の式内大国主西神社とする説もある。だが延喜式神名帳では菟原郡となっており、西宮神社がある武庫郡ではなく、西宮神社にせよ現在の大国主西神社にせよ、式内社とするには一致しない。ただし武庫郡と菟原郡の境界は西宮神社の約200m西側を流れる夙川でありこの河道の変遷により古代は菟原郡に所属したとする説もある。

式内大国主西神社との関係がいずれとしても、平安時代には廣田神社の境外摂社であり「浜の南宮」または「南宮社」という名であった。廣田神社と神祇伯の白川伯王家との関係から頻繁に白川家の参詣を受けており、既に篤く信仰されていたことが記録に残っている。

平安時代末期、廣田神社の摂社として「夷」の名が初めて文献にあらわれるようになる。そのためこの頃から戎信仰が興ったとの説がある(同時期の梁塵秘抄にも、諏訪大社、南宮大社、敢国神社と共に、廣田神社の末社が南宮とされている)。この南宮が現在の西宮神社のことであり、廣田神社の境外摂社である「南宮神社」が現在でも西宮神社の境内にあるのはその名残りである。「西宮」という名称の起源については諸説あるが、えびす神を最初に祀ったと伝わる鳴尾や古代の先進地域である津門から見て「西の方の宮」という説や京都から見て貴族の崇敬篤き廣田神社を含む神社群を指して「西宮」と称していたが、戎信仰の隆盛と共に戎社を「西宮」と限定して呼ぶに至ったという説などが有力である。また「西宮」とは上述の延喜式内社の大国主西神社の事を指すとの説もある。(2014.1.12訪問。


主祭神:西宮大神(蛭子命)
祓所
手水舎
③池の橋
①拝殿