仁和寺(にんなじ) |
仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院。山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。 皇室とゆかりの深い寺(門跡寺院)で、出家後の宇多法皇が住したことから、「御室御所」(おむろごしょ)と称された。明治維新以降は、仁和寺の門跡に皇族が就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称するようになった。 御室は桜の名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者でにぎわう。徒然草に登場する「仁和寺にある法師」の話は著名である。当寺はまた、宇多天皇を流祖とする華道御室流の家元でもある。普段は境内への入場は無料であり、御殿・霊宝館の拝観のみ有料となる。ただし、御室桜の開花時(4月)に「さくらまつり」が行われ、その期間は、境内への入場にも拝観料が必要となる 仁和寺はその後も皇族や貴族の保護を受け、明治時代に至るまで、覚法法親王など、皇子や皇族が歴代の門跡(住職)を務め(最後の皇族出身の門跡は、伏見宮純仁法親王、後の小松宮彰仁親王)、門跡寺院の筆頭として仏教各宗を統括していた。非皇族で仁和寺門跡になった人物に九条道家の子法助と足利義満の子法尊の2名がいるが、ともに当時の朝廷における絶対的な権力者の息子でかつ後に准后に叙せられるなど皇族門跡に匹敵する社会的地位を有していた。室町時代にはやや衰退し、応仁の乱(1467年-1477年)で伽藍は全焼した。近世になって、寛永年間(1624年-1644年)、徳川幕府により伽藍が整備された。また、寛永年間の皇居建て替えに伴い、旧皇居の紫宸殿、清涼殿、常御殿などが仁和寺に下賜され、境内に移築されている(現在の金堂は旧紫宸殿)。(2014.2.26訪問) |
創建年:888年 | 開基:宇多天皇 | 本尊:阿弥陀如来 | 別称:旧御室御所 | 宗派:真言宗御室派 |
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①金堂 | 慶長18年(1613年)に建立された旧皇居の正殿・紫宸殿を寛永年間(1624年-1644年)に移建改築したもので、近世の寝殿造遺構として重要。宮殿から仏堂への用途変更に伴い、屋根を檜皮葺きから瓦葺きに変えるなどの改造が行われているが、宮殿建築の雰囲気をよく残している。 | |
②御影堂 | 1641-1645年建立。旧皇居の清涼殿の用材を用いて建設したもの。宗祖空海を祀る。 | |
③宸殿 | 近世初期の皇居・常御殿を移築したものであったが、1887年(明治20年)に焼失。現在の建物は明治時代末-大正時代初期に亀岡末吉の設計により再建されたものであるが、宸殿の南北に配置された庭園とともにかつての宮殿の雰囲気を漂わせている。 | |
④仁王門 | 高さは18.7mで重層、入母屋造、本瓦葺です。平安時代の伝統を引く和様で統一されている。 | |
⑤勅使門 | 檜皮葺屋根の四脚唐門で前後は唐破風です、左右の屋根は入母屋造となっている。門の細部にまで見られる彫刻装飾は、伝統的和様となっている。 | |
⑥北庭 | 宸殿の北側にあるので北庭と呼ばれています、池泉式の雅な庭園です。築山に飛濤亭、その奥には中門や五重塔を見ることが出来ます。庭の制作年は不明だそうです、 | |
⑦霊明殿 | 宸殿の北東にある霊明殿は、仁和寺の本尊 薬師如来坐像を安置するのに1911年に建立されました。。内部は正面に須弥壇があり、小組の格天井をはじめ、蟇股の組物などの細部に至るまで見事といえ、他の建物ともよく調和しています。 | |
⑧五重塔 | 上層から下層にかけて各層の幅にあまり差がない姿が特徴的です。高さは36.18m。 塔内部には大日如来が安置されている。中央に心柱、心柱を囲むように四本の天柱が塔を支えています。 |
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⑨九所明神 | 仁和寺の伽藍を守る社です。 | |
⑩中門 | 二王門と金堂の中間にあり、五重塔や観音堂といった伽藍中心部に向かう入口ともいえる門です。 |