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①本堂 
 
1585年豊臣秀吉の根来攻めの時、根来側についた為に堀秀政の軍勢により焼き討ちに遭った。その際に七堂伽藍はすべて焼失した。その後復興されたが1784年に火災によりまたもや焼失した。
今日の本堂は岸和田藩主岡部氏が寄進し、1827年に再建された。、二重屋根に本瓦を葺いた安定感のあるお堂である
。 
②三重塔 
 
当初は多宝塔で多宝如来を安置したと言われている。
本堂と同じく天正の兵火により焼失したので再度三層の塔が建てられ、釈迦像が安置された。
今に残る塔は、1834年に再建されたもので、明治以前に建てられた大阪府内唯一の三重の塔である。三重塔の第一層の軒下のかえる股に十二支の彫刻がある。 
③護摩堂   
すべての悪魔を降伏させるという不動明王が祀ってある。
不動明王は全ての害を焼き尽くす、大智の火を身から発するといわれ、真言信者を守護する役割を担っていると言われている。
建物の老朽化で、今日の護摩堂は2013年に新しく建て替えられたものである。      
④愛染堂   
 愛染明王が祀られている。愛染明王は、祈る者には徳を授け、縁を結び、福を与えると言われている。
約700年前、水間の豪農楠右エ門の娘、お夏がこの愛染明王にお祈りをし、勅使であった山名清十郎との恋を成就させた、その縁で「お夏清十郎の墓」がこのお寺に建てられている。
⑤経堂 
 
このお堂に収められていた経典は全て兵火で焼失してしまった。今日では大般若波羅密多経600巻と大蔵経等が納められている。このお堂の像は、傅大師(ふだいし)とその長男、次男で、傅大師は、常に難民の救済にあたったとされている。
⑥行基堂 
 
本堂の南を山側に進み、通天橋を渡って少し上ると左手に開基の行基菩薩を祀る行基堂がある。
行基菩薩が開山のとき、自作の像を刻み安置されるも、天正の兵火に焼失したと言われている。
今日では天明の大火にも残った作者不明の座像が安置されており、このお堂はお寺の諸堂のうち最古の建物となっている。 
⑦薬師堂   
薬師如来像が祀られているお堂である。行基菩薩が、聖観音が現れるのを願い薬師如来像を祀ったと伝えられている。 
⑧弁天堂 
 
弁財天が祀られている。南海七福神の弁天さんとして、七福神めぐりの一神となっている。 



水間鉄道 水間観音駅から徒歩7分
JR阪和線 和泉橋本駅から路線バス(は~もに~ばす、またはコスモスライナー)で15分、水間観音駅下車、徒歩7分





⑥行基堂
⑧弁天堂
水間寺(みずまでら)




水間寺(みずまでら)は、大阪府貝塚市にある天台宗別格本山の寺。水間観音の通称で知られる。本尊は聖観世音菩薩。

寺伝によれば、天平年間(729年-749年)に聖武天皇の勅願により行基が開創したものという。病床の聖武天皇の夢に現れた観音菩薩を求め、行基が2つの川が合流する「水間」にやってくると観音の化身である16人の童子に遭遇、誘われて滝に向かうと竜神が現れ聖観音像を授けられたと伝わっている。その滝は、現在の本堂の裏を流れる小川にあったらしく、現在は岸辺に設置されたフェンスに「聖観音菩薩出現の滝」と墨でかかれたボードが設置されている。

中世より武家による手厚い保護を受けていたが、紀州征伐の際に紀州勢に与したため、1585年(天正13年)に堀秀政の軍勢に攻められて焼失した。一時衰退したものの、岸和田藩主岡部氏 の帰依を受け、元禄年間には堂宇も再建された。その後、1784年(天明4年)の火災で再び焼失。1811年(文化8年)に本堂が再建され、1827年(文政10年)には他の堂宇も再建された。

井原西鶴の『日本永代蔵』の第1話「初午は乗て来る仕合」に「泉州水間寺利生の銭」と記されたことで全国的に知られるようになった。1925年(大正14年)には参拝客を運ぶための水間鉄道が開通している。(2014.3.17訪問)


創建年:729-749年 開基:行基・聖武天皇 本尊:聖観音 別称:水間観音 宗派:天台宗
⑤経堂
鐘楼
常寂光堂
②三重塔
①本堂
③護摩堂
通天橋
④愛染堂
⑦薬師堂