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本殿
 
 弘安8年(1285年の焼失を受けて室町時代初期の応永4年(1397年)に再建されたのち、天文11年(1542年)に大改修されたものになる。部材のほとんどは天文11年のものであるため、現在の文化財に関する公式資料では天文11年の造営とされている。形式は桁行三間・梁間四間、一重、檜皮葺。屋根は側面から見ると前後同じ長さに流れており、この形式は「両流造」とも「松尾造」とも称される独特のものである[。本殿は東面しており、彫刻や文様など随所には室町時代の特色が表れている。
三宮社
 
祭神:玉依姫命。松尾七社の一社
楼門
 
桁行(間口)三間・梁間(奥行)二間の三間一戸楼門で、屋根は入母屋造檜皮葺。寛文7年(1667年)に棟上げされた。高さ約11メートルで大規模なもので、華美な装飾はなく和様系で古式の楼門である]
亀と鯉
 
松尾大社の神使が亀であることに由来するとされる]。神社文書によれば、松尾神は大堰川を遡り丹波地方を開拓するにあたって急流では鯉に、緩流では亀に乗ったといい、この伝承により鯉と亀が神使とされたとされる[


阪急電鉄嵐山線 松尾大社駅(徒歩すぐ)
京都市営バス(京都駅から嵐山、大覚寺行き)松尾大社前 下車後徒歩すぐ
京都バス(京都駅から苔寺行き)松尾大社前 徒歩すぐ




松尾大社(まつおたいしゃ)


松尾大社(まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ)は、京都市西京区嵐山宮町にある神社式内社名神大社)で、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

京都盆地西部、四条通の西端に鎮座する。元来は松尾山(標高223メートル)に残る磐座での祭祀に始まるとされ、大宝元年(701年)に文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けたといわれる。その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎され、平安京遷都後は東の賀茂神社賀茂別雷神社賀茂御祖神社)とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置づけられた。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社である。

境内は、神体の松尾山の麓に位置する。本殿は室町時代の造営で、全国でも類例の少ない両流造であり国の重要文化財に指定されている。また多くの神像を有することでも知られ、男神像2躯・女神像1躯の計3躯が国の重要文化財に、ほか16躯が京都府指定有形文化財に指定されている。そのほか、神使と鯉とすることでも知られている。

社名は、古くは『
延喜式神名帳に見えるように「松尾神社」と称された。現在に見る「松尾大社」と改称したのは、戦後の1950年昭和25年)8月30日である

「松尾」の読みは、公式には「まつのお」であるが、一般には「まつお」とも称されている。文献では『延喜式』金剛寺本、『枕草子』、『太平記』建武2年(1335年)正月16日合戦事条、『御湯殿上日記明応8年(1499年)条等においていずれも「まつのお/まつのを」と訓が振られており、「の」を入れるのが古くからの読みとされる

狂言「福の神」によると、松尾神は「神々の酒奉行である」とされ、現在も神事に狂言「福の神」が奉納されるほか、酒神として酒造関係者の信仰を集める。その信仰の篤さは神輿庫に積み上げられた、奉納の菰樽の山に顕著である。松尾神を酒神とする信仰の起源は明らかでなく、松尾大社側の由緒では渡来系氏族の秦氏が酒造技術に優れたことに由来するとし、『日本書紀』雄略天皇紀に見える「秦酒公」との関連を指摘する。しかし、酒神とする確実な史料は上記の中世後期頃成立の狂言「福の神」まで下るため、実際のこの神格の形成を中世以降とする説もある。それ以降は貞享元年(1684年)成立の『雍州府志』、井原西鶴の『西鶴織留』に記述が見える。社伝では社殿背後にある霊泉「亀の井」の水を酒に混ぜると腐敗しないといい、醸造家がこれを持ち帰る風習が残っている

上古には松尾山頂の
磐座(御神蹟)で祭祀が行われたといわれるが、『秦氏本系帳』では、大宝元年(701年)に勅命によって秦都理(とり)が現在地に社殿を造営し、松尾山の磐座から神霊を同地へ移したのが創建になるという。また秦忌寸知麻留女(ちまるめ)が斎女として奉仕し、さらに養老2年(718年)に知麻留女の子の秦忌寸都駕布(つがふ)が初めて祝(神職)を務めたといい、以後はその子孫が代々奉斎するとする

社殿創建以前の祭祀については、未だ明らかではない。前述(祭神節)のように松尾大社に関する古い伝承には、大山咋神が鎮座するという『古事記』の伝承、宗像の中部大神(中津島姫命)が鎮座するという『秦氏本系帳』の伝承、秦氏に加えて賀茂氏も創立に関与したとする『秦氏本系帳』の別伝承の3種類が存在するが、これらの解釈には不明な点が多い。また、大宝元年(701年)に社殿が造営されたとする記事は『伊呂波字類抄』(平安時代末頃)にも確認されるが、『続日本紀』の同年記事に山背国葛野郡の月読神・樺井神・木島神・波都賀志神等の神稲を中臣氏に給すると見えることから、松尾大社の祭祀についても中臣氏の神祇政策が背景にあると指摘される
(2023.8.18参


創建年:701年 主祭神:大山昨神、中津島姫命
二か所目の鳥居
手水舎
拝 殿
幸運の双鯉
楼 門
相生の松
本 殿
霊亀の滝