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①本堂 | 建武4年・延元2年(1337年)に再建された中世の大型仏堂の貴重な遺構で、和様を基調とした比較的簡素な建築意匠ではあるが、大仏様の様式も取りいれられ、新和様と呼ばれる。 | |
②北惣門 | この門を入って108段の石段を登れば本堂がある。 閼伽井からの水は“大和の名水100選”に選ばれている。 |
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③閼伽井屋 | ご本尊厄除観音様にお供えする水で湧水である。この水は健康のために良いと言われている。古来、醸造に適した水として知られ、南都で栄えた酒屋の杜氏たちの寄進名が彫られ残っている。 | |
④十三重塔 | 初層の軸部にウン(阿閦)、タラク(宝生)、キリク(阿弥陀)、アク(不空成就)の金剛界4仏の梵字が刻まれている。 南都の十三重塔中でも屈指のものといわれている。 |
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⑤鐘楼 | 厄除の鐘としてしられている。 | |
⑥行者堂 | 役行者の像を安置する。 | |
⑦阿弥陀堂 | 行者堂、七福神堂の間にあり東に面する入母屋造り本瓦葺のお堂で、江戸中期頃に建てられた。 阿弥陀如来と観音菩薩・勢至菩薩を祀っている。 |
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⑧七福神堂 | 七福神を祀り、多くの方に福を授けているとのこと。 | |
⑨三重塔 | 本堂などのある中心伽藍より一段高い位置に立つ。現在の塔は明治21年(1888年)の再建であるが、一部に古材が使用されている。 | |
⑩松尾山神社 | 春日造り桧皮葺の三社殿に拝殿と神楽殿が配置されている。松尾大明神が本社、清滝権現・牛頭天皇が脇社として祀られている。 | |
⑪南惣門 | この門がこのお寺の正門で、本瓦葺総檜造の四脚門。1862年、興福寺一条院宮により造られたといわれている。、 |
松尾寺(まつおでら) |
松尾寺(まつおでら)は奈良県大和郡山市にある真言宗醍醐派の別格本山。山号は松尾山または補陀洛山(ふだらくさん)。本尊は千手観音。開基(創立者)は舎人親王(とねりしんのう)と伝える。日本最古の厄除け寺と称され、2月・3月の初午の日の縁日には多くの参詣者でにぎわう。境内にはバラ園があり、バラの名所としても知られる。なお、寺名は「まつのおでら」「まつのおさん」などとも呼ばれる。境内には湧き水もある。 『続日本紀』延暦元年(782年)7月21日条には、「松尾山寺」の尊鏡という当時101歳の僧についての言及がある。また、松尾山の山頂近くに位置する鎮守社の松尾山神社境内からは奈良時代にさかのぼる古瓦や建物跡が検出されており、当寺が奈良時代の創建であることは間違いないと思われる。 中世以降は興福寺一乗院の支配下に属するとともに、法隆寺の別院とも称された(松尾寺は法隆寺の北方に位置し、法隆寺西院伽藍の背後から松尾山へ至る参詣道がある)。 現存する本堂は建治3年(1277年)に焼失した後、建武4年(1337年)に再建されたものであり、本尊の千手観音立像は鎌倉時代の作である。なお、本堂の解体修理中の昭和28年(1953年)、屋根裏から焼損した仏像の残欠が発見され、これは建治3年の火災以前に祀られていた旧本尊像ではないかと推定されている。 松尾寺は室町時代以降は修験道当山派の拠点としても栄えた。「当山派」とは、吉野の金峯山を主な修行の場とし、醍醐寺三宝院を本山とする真言宗系の修験道で、聖護院門跡を本山とする「本山派」に対する呼称である。当山派では山伏の最高位である正大先達(しょうだいせんだつ)を中心として「正大先達衆」という組織を構成したが、松尾寺には当山派正大先達衆に関わる多くの古文書が残されている。(2014.3.28訪問) |
創建年:伝・養老2年(718年) | 開基:伝・舎人親王 | 本尊:千手観音 | 別称:まつのおでら、まつのおさん | 宗派:真言宗醍醐派 |