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楼門 | 二間四面、久米田池を臨み宝永三年の再建と伝えられ、扁額『龍臥山』は徳大寺実祖の筆。 | |
金堂 |
五間四面、単層四注造、瓦葺き、本尊釈迦如来脇待は普望・文殊の両菩薩立像、明和七年の再建と伝えられ、堂内には松平定信筆『隆池院』の三字額が掲げられています。 | |
靖霊殿 | 昭和32年10月、日清・日露戦争から太平洋戦争に至る、岸和田市出身戦没者の霊を祀っています。これは法隆寺東院伽藍の中心をなす八角堂国宝の夢殿を模して建立され、中には岡部藩の末裔で元文部大臣、故岡部長景の力添えにより、唐僧玄奘三蔵法師の御霊骨を奉安し、靖霊殿と号されています。 | |
多宝塔 | 弘法大師空海が唐より帰朝後、伝法の拠点とした京都の東寺より仏舎利を足利直義により当寺に奉納せられ、遺存していた仏舎利をお祀りしています。 | |
開山堂 | 桁行三間、梁行三間半、文政五年の再建と伝え、行基菩薩の像を安置しています。 |
久米田寺(くめだでら) |
久米田寺(くめだでら)は、大阪府岸和田市にある高野山真言宗の準別格本山の寺院。山号は龍臥山。本尊は釈迦如来。行基ゆかりの寺院である。 行基が開削指導したため池のひとつである久米田池を維持管理するため、天平10年(738年)に行基によって創建されたと伝えられる 平安時代になると奈良興福寺一乗院の支配下にあった。鎌倉時代、承久の乱により武士が乱入し荒廃したが、鎌倉時代中期になって安東蓮聖により再興された。 南北朝時代には天皇、皇族の帰依も深く、楠木正成とも密接な関係を持ち、手厚い保護が与えられたが、戦乱によって当寺も寺領を脅かされる事が多かった。室町時代になると、足利尊氏・直義兄弟により全国に設けられた安国寺のひとつに指定された。 戦国時代、永禄5年(1562年)3月に三好実休と畠山高政が戦った久米田の戦いや、織田信長による高屋城の戦いの兵火等によりほぼ焼失した。しかし、江戸時代の延宝2年(1674年)に復興する。宝暦年間(1751年 - 1763年)に修理、明和7年(1770年)に本堂の再建、1919年(大正8年)には本堂の大修繕を行うなどして今に至る。現在塔頭は5院ある。 (2025.4.3参詣) |
創建年:738年 | 開基:行基 | 本尊:釈迦如来 | 別称:・・・ | 宗派:高野山真言宗 |