熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)


熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、和歌山県新宮市新宮1にある神社。熊野三山の一つ。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする。

境内地は国の史跡「熊野三山」の一部。2002年(平成14年)12月19日、熊野三山が史跡「熊野参詣道」から分離・名称変更された際に、御船島を含む熊野速玉大社境内が追加指定された。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産・大峯奥駈道の一部
創建年代は不詳である。熊野速玉大神は、熊野速玉大社では伊邪那岐神とされ、熊野本宮大社では同じ神名で日本書紀に登場する速玉之男(はやたまのを)とされる。また、この速玉之男神の名から神社名がつけられたといわれる。熊野夫須美大神は伊邪那美神とされる。もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれる。神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ぶ。古代、穂積忍麻呂が初めて禰宜に任じられてからは、穂積氏(藤白鈴木氏)が代々神職を務めた。
当神社所蔵の総数1,000点を超える古神宝類は、1955年(昭和30年)6月22日、一括して国宝に指定された。ここで言う「神宝」とは、祭神の所用具として製作・奉納された服飾・調度類のことで、第一殿から第十二殿に祀られる祭神のために作られた神服、蒔絵手箱、銅鏡、弓矢、染織用具などが含まれる。

神宝は「しんぽう」「じんぽう」「かむだから」などと読み、広狭いくつかの意味合いがある。最広義には神社所蔵の宝物全般を指す場合もあるが、狭義では祭神の御料、すなわち祭神の所用品として神殿に奉献された神服、調度、武器武具、紡績具などの品々を指す。古文献には「神宝」と「装束」を分けて記載している例もあり、その場合は武器武具、紡績具などがより厳密な意味での「神宝」となる。現代の文化財用語としては、厳密な意味の「神宝」と装束類などを併せて「神宝類」と呼称している。

熊野新宮では平安時代以来、33年に一度の遷宮を例とし、遷宮のたびに新たな神宝が調進されていた。しかし、徳治2年(1307年)の社殿焼失後は、朝廷の援助が得られなかったこともあり、仮殿が建てられたのみで、復旧は遅々として進んでいなかった。ようやく明徳元年(1390年)に至って遷宮が行われ、現存する神宝の大部分は、この時に時の幕府(足利義満)が中心となって製作・奉納したものである(ただし、一部に時代の下る遺品も混在する)。熊野三所と称される結宮(中御前)、速玉宮(西御前)、証誠殿への神宝奉納は、それぞれ禁裏(天皇)、仙洞(上皇)、室町殿(将軍)によって行われた。速玉大社には『熊野山新宮神宝目録』(明徳元年の本奥書)、『熊野山新宮御神宝内外御装束之事御調進造替之文目録』(年紀なし)という2種類の神宝目録が伝存する(いずれの目録も、現存するものは江戸時代の写本)。これらの目録には、各祭神に奉献された神宝の名称、材質、文様等が詳細に記載されており、現存の神宝類とも符合するので、貴重な資料となっている。

現存の古神宝類は、男神用、女神用それぞれの神服、各祭神に奉納された蒔絵の手箱(化粧道具を納める蓋付の箱)、太刀などの武器武具類、紡績具などに分類される。(2014.11、4訪問)


創建年:伝景行天皇58年 主祭神:熊野速玉大神、熊野夫須美大神
熊野恵比寿神社
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