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上宮王院太子殿(本堂)
 
享保15年(1730年)建立。入母屋造、檜皮葺きの宮殿風建築である。
堂内奥の厨子内には本尊として
聖徳太子立像を安置する。
新霊宝殿
 
たんに霊宝殿ともいう。仏像を中心とした広隆寺の文化財を収蔵展示する施設で、1982年昭和57年)の築。国宝弥勒菩薩像2体、十二神将像などはここに安置されている。
薬師堂  
木造薬師如来立像(平安時代前期、像高101.3センチ)を安置する。通常の薬師如来像と異なり、女神の吉祥天像のような像容に造られた吉祥薬師像である
地蔵堂
 
「腹帯地蔵」と通称される木造地蔵菩薩坐像を安置する。本像は平安時代後期の作で、像高275.8センチ
南大門
 
 元禄15年(1702年)建立と伝える。

京福電鉄嵐山本線 太秦広隆寺駅 駅前



地蔵堂
仁王門
薬師堂
地蔵堂
太秦殿
講 堂
上宮王院(本堂)
旧霊宝殿
新霊宝殿

広隆寺(こうりゅうじ)


広隆寺は東映太秦映画村で有名な太秦に所在するが、創建当初からこの地にあったものかどうかは未詳で、7世紀前半に今の京都市北区平野神社付近に創建され(後述のように北野廃寺跡に比定されている)、平安遷都前後に現在地に移転したという説が有力である。創建当初は弥勒菩薩を本尊としていたが、平安遷都前後からは薬師如来を本尊とする寺院となり、薬師信仰と共に聖徳太子信仰を中心とする寺院となった。現在の広隆寺の本堂にあたる上宮王院の本尊は聖徳太子像である。『上宮聖徳法王帝説』は蜂岡寺(広隆寺)を「太子建立七大寺」の一つとして挙げている。

『日本書紀』によれば、推古天皇11年(603年)に聖徳太子が「私のところに尊い仏像があるが、誰かこれを拝みたてまつる者はいるか」と諸臣に問うたところ、秦河勝がこの仏像を譲り受けて「蜂岡寺」を建てたという。一方、承和5年(838年)成立の『広隆寺縁起』(承和縁起)や寛平2年(890年)頃成立の『広隆寺資財交替実録帳』冒頭の縁起には、広隆寺は推古天皇30年(622年)、同年に死去した聖徳太子の供養のために建立されたとある。『日本書紀』と『広隆寺縁起』とでは創建年に関して20年近い開きがある。これについては、寺は603年に草創され、622年に至って完成したとする解釈と、603年に建てられた「蜂岡寺」と622年に建てられた別の寺院が後に合併したとする解釈とがある。

蜂岡寺の創建当初の所在地について、『承和縁起』には当初「九条河原里と荒見社里」にあったものが「五条荒蒔里」に移ったとある。確証はないが、7世紀前半の遺物を出土する京都市北区北野上白梅町(かみはくばいちょう)の北野廃寺跡が広隆寺(蜂岡寺)の旧地であり、平安京遷都と同時期に現在地の太秦へ移転(ないし2寺が合併)したとする説が有力である。

なお、広隆寺(蜂岡寺)が平安京遷都の際に移転した理由として、朝廷が寺院の施設を官寺として接収したからとする説もある。平安時代の国史に登場する常住寺もしくは野寺と呼ばれる官寺について、遷都直後に平安京内にあった唯一の既存の寺院である蜂岡寺を接収・再整備したものだと考えられている。その背景として、平安京における東寺西寺の建立が予定よりも大幅に遅れて、朝廷が必要とする仏事に対応できなかったからだとされている。ただし、弘仁年間に東寺と西寺が整備されるとその役割は縮小していったと考えられている

広隆寺は弘仁9年(818年)の火災で全焼し、創建当時の建物は残っていない。承和3年(836年)に広隆寺別当(住職)に就任した道昌空海の弟子)は焼失した堂塔や仏像の復興に努め、広隆寺中興の祖とされている。その後、久安6年(1150年)にも火災で全焼したが、この時は比較的短期間で復興し、永万元年(1165年)に諸堂の落慶供養が行われている。現存する講堂(重要文化財)は、中世以降の改造が甚だしいとはいえ、永万元年に完成した建物の後身と考えられている。

寺には貞観15年(873年)成立の『広隆寺縁起資財帳』(国宝)と、寛平2年(890年)頃の『広隆寺資財交替実録帳』(国宝)が伝わり、9世紀における広隆寺の堂宇や仏像、土地財産等の実態を知る手がかりとなる。『実録帳』は、『資財帳』の記載事項を十数年後に点検し、異動を記したものである。『資財帳』は巻頭の数十行が欠失しているが、『実録帳』の記載によってその欠落部分を補うことができる。

江戸時代に入ると、寛文3年(1663年)の霊元天皇の即位をきっかけに後水尾法皇によって制度化された「七大寺」の1つに加えられ、国家的な祈祷の一翼を担うことになった

1995年平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災では京都市でも震度5の強い揺れを観測した。この震災では兵庫県神戸阪神地域や淡路島の被害が最も大きかったことで、大阪府や京都府などの他の近畿の各県はそれほど注目されなかったが、広隆寺でも像が折れるなどの被害を受けた。

(2024.10.6参詣)


創建年:603年又は622年 開基:秦河勝 本尊:聖徳太子 別称:・・・ 宗派:真言宗系単立