高台寺(こうだいじ)




東山霊山(りょうぜん)の山麓、八坂法観寺の東北にある。正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が慶長11年(1606)開創した寺である。寛永元年(1624)7月、建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ、高台寺と号した。造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行なったので寺観は壮麗をきわめたという。
 現在旧持仏堂の開山堂、霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台等が国の重要文化財に指定されている。 秀吉と北政所を「霊屋(おたまや)」に祀り、北政所像の下はその墓所となっている。須弥壇(しゅみだん)と厨子は華麗な蒔絵装飾が施され、桃山美術を代表する「高台寺蒔絵」として知られる。開山堂を中心に東西に広がる池庭は小堀遠州作と伝えられる。
尚、豊臣秀吉夫人(北政所)は天正16年(1588)に従一位に序せられ慶長8年1603)に後陽成天皇より高台院の号を賜り寛永元年(1624)9月6日、76才で亡くなられた。(2013.8.15)高台寺ホームページより


                                                        

          

創建年:1606年 開基:高台院 本尊:釈迦如来 別称:蒔絵の寺 宗派:臨済宗建仁寺派


 
 
 
 
 上の地図で②の所から入りました、ここでは中の様子は全く分かりません。  進んで行くと右に建物が、地図からすれば湖月庵か?  寺域へ入って左側に祇園祭りの鉾の形の建物が見えた、財界人が寄付したと聞きましたがその向こうが八坂神社です。屋根に何が写ってるんだろう?  更に奥へこの向こうに開山堂、本堂がある。
 
 
 
 
 じぇじぇじぇ、これは何ですか?歴史あるお寺にいきなりこんな提灯が。  遺芳庵、方丈・書院の背後にある田舎屋風の茶室で、近世初期の商人で趣味人であった灰屋紹益が夫人の吉野太夫をしのんで建てたものという。一畳台目の小規模な茶席で、炉は逆勝手向切りとするとのこと。茅葺の屋根で雰囲気は十分でした。
 ここにもお化けが、一体何があるんだろうと前へすすむ。  偃月池(えんげつち)から開山堂を見る。右に見えるのは書院から開山堂に続く屋根つきの廊下。風情がある。
 
 
 
 
 ここまで来てやっと分かりました。8月末までこんな展示があったのです。そのイントロみたいなものでした。  本堂から開山堂を見た。先ほどの廊下の中央にちょっとした屋根が付いています。これが観月台だそうです。ここには入れませんが前後に池があり眺めもひとしおかなって感じです。
 方丈(本堂)前の勅使門、大正元年(1912年)に方丈とともに再建されたものだそうです。  方丈前庭を出て方丈方面を臨む。
 
 
 
 
 開山堂へ入る中門、この門自体も赴きは十分にあった。  開山堂、書院の東方、庭園内に建つ入母屋造本瓦葺きの禅宗様の仏堂。慶長10年(1605年)の建築。元来、北政所の持仏堂だったもので、その後、中興開山の三江紹益の木像を祀る堂となっているそうです。
 開山堂より方丈(本堂)を見た。方丈、庫裏の右手に建つ。大正元年(1912年)の再建。創建当初の方丈は文禄の役後に伏見城の建物を移築したものであったとのこと。  開山堂より臥龍池を見る。この庭園は小堀遠州作とされ、しだれ桜と萩の名所。石組みの見事さは桃山時代を代表する庭園として知られているそうです。
 
 
 
 
 先ほどの勅使門、寺の外から見た。  寺を出てから見た庫裏、内部は通常非公開。玄関から垣間見える「夢」と書かれた衝立が印象的であるとのこと。しかしこの建物が一番印象に残る。  参詣を終えて八坂神社方面へ向かうところで後ろを振り向き撮りました。  ねねの道 - 知恵の道、神幸道と合わせて東山参道(三つの道)と言い、円山公園付近で接続して、それぞれ知恩院、八坂神社へと続くそうです。



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