創建年:1211年 | 開基:北条政子 | 本尊:愛染明王 | 別称:・・・ | 宗派:高野山真言宗 |
多宝塔 |
高さは約15メートル。屋根の一辺は約9メートル。 |
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経蔵 |
金剛三昧院と改められたときに建立されたものです。建立は1223年頃で、建築様式が奈良にある正倉院などと同じ校倉(あぜくら)造りで、鎌倉時代初期の校倉造りの建立物としては現存状態が非常によく、重要文化財に指定されている。中には「高野版」と呼ばれる経典が書かれた版木が、500枚以上収められている。 |
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本堂 |
本尊は愛染明王(あいぜんみょうおう)で、憤怒(ふんぬ)の相をされている。愛染明王の御誓願(ごせいがん)の中には、良縁や安産、子孫繁栄といった、女性の願いごとを叶えてくれるものが多く、北条政子の、自分の子孫の安泰を願う気持ちが込められていまる。愛染明王像は、源頼朝の等身大の念持仏(ねんじぶつ)で、仏師・運慶の作であると伝えられている。 本尊の脇には源頼朝公・北条政子、足利尊氏公、その弟の足利直義公のお位牌が安置されている。 |
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金剛三昧院(こんごうさんまいいん) |
金剛三昧院(こんごうさんまいいん)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある仏教寺院・宿坊。高野山真言宗別格本山。本尊は愛染明王。仏塔古寺十八尊第11番霊場。西国愛染十七霊場第17番霊場。 ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素。 承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰された。 貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立した。鎌倉幕府と高野山を結ぶ寺院であったため、高野山の中心的寺院の役割を担った。後に和歌山由良の興国寺を建立する心地覚心も、この寺院で行勇に学んだ。 その後、境内には勧学院が建てられ、高野版の摺本を用いた南山教学の中心地として栄えた。ただし、初代住持が退耕行勇であったことでも分かるように、当初は金剛峯寺とは別個の禅宗寺院として創建され、後に実融によって再興されて以後は律宗も兼学するようになった。金剛峯寺の院家として扱われるのは、江戸時代初期頃と考えられている。(2017.5.3参詣) |