城南宮(じょうなんぐう)は、京都市伏見区にある神社。旧社格は府社。「方除の大社」として知られている。摂社の真幡寸神社は式内社。
創立年代は不詳である。平安遷都の際に国常立尊を八千矛神と息長帯日売尊に合わせ祀って創建された。城(平安京)の南にあることから「城南神」と称した。また、城南寺の鎮守社として創建されたともいう。
1221年(承久3年)、後鳥羽上皇は「流鏑馬揃え」を城南宮で催した。これは北条義時を打倒する兵を集結させる口実であり、上皇は承久の乱を起こすものの西上してきた鎌倉幕府勢により敗れた。
室町時代の頃からか、この地にあった真幡寸神社を取り込んでしまったようである。 応仁の乱などの戦乱で荒廃したが、江戸時代になって復興された。幕末の文久3年(1863年)には孝明天皇の攘夷祈願の行幸があった。新政府軍の掲げる錦の御旗の前に旧幕府軍が総崩れとなった慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いの主戦場となったのはこの地である。
1876年(明治10年)には式内社「真幡寸神社」に比定され、社名を「真幡寸神社」に改称した。また、府社に列せられている。しかし1968年(昭和43年)に「城南宮」に復し、「真幡寸神社」はその境内摂社として境内に新たに社殿を設けて奉祀されることになった。
1977年(昭和52年)に本殿が焼失するが、翌1978年(昭和53年)に再建された。
近年では転居、旅行の厄除けから転じて交通安全の神としても広く信仰されており、毎年7月には自動車の茅の輪くぐりが行われる。
(2023.7.18参詣)
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