本 殿
真幡寸神社
絵馬舎
 YOU TUBEでご覧ください








真幡寸神社
 
真幡寸神社(まはたきじんじゃ) - 祭神:真幡寸大神、応神天皇。当初、深草の地にあった式内社で、創建は神功皇后摂政3年(203年)、神功皇后三韓征伐の際に船上に立てた旗に神功皇后・八千戈神(大国主神)の神霊を添えて奉斎したのに始まると伝える。永享10年(1438年)に稲荷山の山頂にあった稲荷の祠を麓の藤尾に遷座(現・伏見稲荷大社)し、その地にあった藤尾社を藤森に遷座(現・藤森神社)した。そのため、藤森の地にあった真幡寸神社を現在地に遷座したという。その後、どうやら城南宮と一体化したようである。新たに真幡寸神社が作られたのは1968年(昭和43年)になってからである
城南宮鳥居 
 
本殿に向かって正面にある赤い鳥居はよく見ると変わった様式となっている。これは城南宮鳥居と呼ばれ、基本型は神明鳥居に属するが、柱下に饅頭があり、棟の部分に島木・笠木を重ねて、さらに屋根を葺いている。その島木の正面中央に神紋の金具が打たれている。
芹川天満宮  
 唐渡天満宮ともいう。
手水舎
 
菊水若水という名水が出ている
本殿
 
1978年昭和53年)再建。

竹田駅(近鉄京都線・京都市営地下鉄烏丸線)徒歩15分




城南宮(じょうなんぐう)


城南宮(じょうなんぐう)は、京都市伏見区にある神社。旧社格府社。「方除の大社」として知られている。摂社真幡寸神社式内社

創立年代は不詳である。平安遷都の際に国常立尊八千矛神息長帯日売尊に合わせ祀って創建された。城(平安京)の南にあることから「城南神」と称した。また、城南寺の鎮守社として創建されたともいう。

1221年承久3年)、
後鳥羽上皇流鏑馬揃え」を城南宮で催した。これは北条義時を打倒する兵を集結させる口実であり、上皇は承久の乱を起こすものの西上してきた鎌倉幕府勢により敗れた

室町時代の頃からか、この地にあった真幡寸神社を取り込んでしまったようである。 応仁の乱などの戦乱で荒廃したが、江戸時代になって復興された。幕末の文久3年(1863年)には孝明天皇攘夷祈願の行幸があった。新政府軍の掲げる錦の御旗の前に旧幕府軍が総崩れとなった慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いの主戦場となったのはこの地である。

1876年明治10年)には式内社「真幡寸神社」に比定され、社名を「真幡寸神社」に改称した。また、府社に列せられている。しかし1968年昭和43年)に「城南宮」に復し、「真幡寸神社」はその境内摂社として境内に新たに社殿を設けて奉祀されることになった。

1977年昭和52年)に本殿が焼失するが、翌1978年(昭和53年)に再建された。

近年では転居、旅行の厄除けから転じて交通安全の神としても広く信仰されており、毎年7月には自動車茅の輪くぐりが行われる。
(2023.7.18参詣)


創建年:不詳 城南大神(八千矛神、息長帯日売尊、国常立尊)
拝 殿
東鳥居
斎 館
城南鳥居
芹川神社
手水舎
神輿舎