神護寺(じんごじ) |
神護寺(じんごじ)は、京都市右京区高雄にある高野山真言宗遺迹(ゆいせき)本山の寺院で、山号を高雄山と号する。本尊は薬師如来、開基は和気清麻呂である。 寺号は詳しくは「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」と称する。寺の根本史料である「神護寺略記」や国宝の「文覚上人四十五箇条起請文」などにももっぱら「神護寺」とあり、寺の入口の楼門に架かる板札にも「神護寺」とあることなどから、本項でも「神護寺」の表記を用いる。 神護寺は、空海の後、弟子の実慧や真済が別当(住職)となって護持されたが、平安時代末期には衰退していた。中世、神護寺再興に力があったのは『平家物語』などで知られる武士出身の僧・文覚であった。彼は仁安3年(1168年)、神護寺に参詣するが、八幡大菩薩の神意によって創建され、弘法大師空海ゆかりの地でもあるこの寺が荒れ果てていることを嘆き、再興の勧進を始めた。その後、後白河法皇や源頼朝らの援助を得て、寺の再興は進んだ。文覚自身は罪を得て対馬(隠岐とする説もある)に流され、配流先で生涯を終えたが、神護寺の再興は弟子の上覚(上覚房行慈)によって完遂された。なお、鎌倉時代に華厳宗を復興し、高山寺を中興した僧・明恵は上覚の甥で、やはり神護寺に住したことがあった。(2018.4.2参詣) |
楼門 | 清滝川畔から石段の参道を上りつめた先に建つ正門。両脇に二天像を安置する。毘沙門堂などと同様、元和9年(1623年)の建立とされる。 |
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鐘楼 | 毘沙門堂などと同様元和9年(1623年)の再建とされる。楼造の鐘楼で、楼上に国宝の梵鐘がある。 |
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金堂 | 楼門を入って境内奥へ進み、右手の石段を上った先に建つ。入母屋造、本瓦葺きの本格的な密教仏堂であるが、建築年代は新しく、昭和9年(1934年)に実業家山口玄洞の寄進で建てられたものである。須弥壇中央の厨子に本尊薬師如来立像(国宝)を安置し、左右に日光・月光(がっこう)菩薩立像(重要文化財)と十二神将立像、左右端に四天王立像を安置する。 |
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五大堂 | 金堂へと上る石段の下に建つ。入母屋造の三間堂。元和9年(1623年)の建築。 |
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毘沙門堂 | 五大堂の南に建つ。入母屋造の五間堂。金堂が建つ前はこの堂が金堂であり、本尊の薬師如来像もここに安置されていた。元和9年(1623年)の建築。内部の厨子に平安時代の毘沙門天立像(重文)を安置する。 |
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大師堂 | 毘沙門堂の西側に建つ入母屋造、杮(こけら)葺きの住宅風の仏堂。空海の住房であった「納涼房」を復興したもので、現存するものは近世初期の再建である。内部の厨子に正安4年(1302年)作の板彫弘法大師像(重文)を安置する(大師像は秘仏で、11月1日 - 15日のみ開帳)。 |
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多宝塔 | 金堂からさらに石段を上った高みに建つ。金堂と同様、昭和9年(1934年)、実業家山口玄洞の寄進で建てられたものである。内部に国宝の五大虚空蔵菩薩像を安置する(毎年5月と10月に各3日間ほど公開)。 |
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創建年:824年 | 開基:和気清麻呂 | 本尊:薬師如来 | 別称:高雄神護寺 |
宗派:高野山真言宗 |