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①本殿 
 
奈良県指定有形文化財。一間社春日造の社殿が三殿並立し、障屏により繋がっている。正面にいずれも七級の木階を設け、登高欄に擬宝珠をつける。屋根は桧皮葺で箱棟に千木勝男木を上げており、細部手法から見て江戸時代初期頃の建築と見られる。 



奈良交通バス市内循環本子守町バス停前
近鉄奈良駅から徒歩7分
JR奈良駅から徒歩7分





率川神社(いさがわじんじゃ)

率川神社(いさがわじんじゃ)は奈良県奈良市本子守町にある神社。大神神社の境外摂社で、正式名称を率川坐大神御子神社といい、また子守明神とも呼ばれる。『延喜式神名帳』に「率川坐大神神御子神社 三座」と記載される式内小社。

推古天皇元年(593年)2月3日、大三輪君白堤が勅命により奉斎したとされ、奈良市最古の神社という。仁寿2年(852年)、文徳天皇の代に従五位下を授けられ、神封6戸(左京4戸、丹後国2戸)を与えられている

治承4年(1180年)12月、平重衡の乱によって社殿が消失。中世以降は春日若宮神官により管理され、興福寺とのつながりが大きかった。そのため、中世期の遷宮記録などは、『大乗院寺社雑事記』に度々記録されている。近世には春日大社の大宮外院11社の中にあったが、1877年(明治10年)3月、内務省達により大神神社摂社率川坐大神御子神社と定められた

本殿中央に御子神(媛蹈韛五十鈴姫命)が祀られ、父母神(西に御父神・狭井大神、東に御母神・玉櫛姫命)が両脇によりそうような姿で鎮座していることより、古くから「子守明神」とたたえられ、安産、育児等の神として篤い信仰がよせられている。南辺を流れる率川は、よって子守川との俗称もある

三枝祭:

6月17日に行われる例祭で、一般にはゆり祭りの俗称で知られている。三輪山に咲く笹ゆりは古くはさいぐさと呼ばれ、この花が供えられる

供え物は

罇(そん)にしらき・清酒を盛り、缶(ほとぎ)にくろき・濁酒を盛って供え、酒樽の周りをゆりの茎で囲む

折櫃に納めた熟饌を柏の葉で蓋をし、黒木の棚に備える

ゆりの花を大きな桶に盛って供える

といった古式に則った様式で供えられ、鎮花祭に因んだ祭りで、悪疫除けの祈願が込められている

祭り当日は、祭神である五十鈴姫の古事に則り、祭典後にゆりをかざした七乙女の行列が町中に展開する。大宝令にも記されている古い祭りで、『神祇令』にも「三枝の花を以て酒樽を飾る祭の故に三枝祭という」と記載されている。(2016.1.9参詣)


創建年:593年 主祭神:姫蹈鞴五十鈴姫命狭井大神 (御父神)玉櫛姫命 (御母神) 別称:子守明神
①本殿
かえる石
拝殿
率川阿波神社