斑鳩寺(いかるがでら、はんきゅうじ)は、兵庫県揖保郡太子町鵤(いかるが)にある天台宗の寺院。新西国三十三箇所第32番札所。

伝承によれば、606年(推古天皇14年)、聖徳太子が推古天皇から播磨国揖保郡の土地360町歩を賜り、大和国斑鳩宮から移住し当地を斑鳩荘(鵤荘)と命名、伽藍を建立した、とされ、これを斑鳩寺の始まりと伝える。

606年、聖徳太子が推古天皇に法華経を講義して、播磨国の水田を賜ったことは史実と認められ、その縁で当地に斑鳩寺が建てられたものと思われる。

長らく大寺院であったが、室町時代後期の1541年(天文10年)、守護大名である赤松氏・山名氏の戦禍を受け、灰燼に帰した。後に、播磨を地盤とする赤松氏等が発願し、徐々に復興していったとされる。また復興を機に、従来法隆寺支院であったのを天台宗へ改めた。

聖徳太子の生誕地奈良県明日香村の橘寺と、墓所の大阪府太子町の叡福寺を結んだライン延長上に、この兵庫県太子町の斑鳩寺が位置する。


木造釈迦如来坐像

木造薬師如来坐像

木造如意輪観音坐像

以上三尊は講堂に安置される秘仏で、2月22・23日の太子忌に開帳される。これらの像を止利仏師の作とするのは伝承にすぎず、実際には室町時代の斑鳩寺復興時の造立であるが、着衣の形式などが古様で、飛鳥時代の古像を手本に造られたものと推定される。(2017.11.28参詣)
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斑鳩寺(いかるがでら)
大講堂
鐘 楼
聖徳殿前殿

姫路駅前から神姫バス「鵤経由龍野行き」乗車、「鵤」バス停下車。北西へ徒歩200m。

三重塔 
 
室町末期に建造されたものと思われるが、当初の塔は1541年の争乱で焼失したと言われる。その後領主、赤松政秀により再建され(1565年に完成したといわれ、更に1754年に修理が行われたとされている。
昭和25年(1950年)に解体大修理が始められ昭和27年(1952年)に竣工。 
講堂 
 
 この寺のの講堂は一般的に本堂とか金堂とか云われているものに相当するものと考えられる 
聖徳殿前殿
 
天文20年(1551)に再建、永禄8年(1565)再修造
 
聖徳殿後殿 
 
 八角円堂であり、大和法隆寺の夢殿に似た造りである。これは、開基が聖徳太子であることに由来していると考えられる。




創建年:606年 開基:(伝)聖徳太子 本尊:釈迦如来、薬師如来、如意輪観音 宗派:天台宗
聖徳殿後殿
三重塔
仁王門
弥勒堂