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①本堂   
入母屋造、檜皮(ひわだ)葺き。江戸時代初期、慶安3年(1650年)の再興である。中世以来の密教仏堂の形式を残しつつ細部には近世的特質の現われた建築で、2004年に重要文化財に指定されている。元来の本堂は現在地の裏手にあり、規模も大きかった。また、旧本堂の右方(南)には五重塔が建っていた。
②仁王門   
参道をずっと進むと仁王門が建っている、本堂と同じ年代に建立されたものです。この門には一対の金剛力士像が向きあっております。
その正面につり下げられた一対の大草鞋に触れると、身体健康・無病長寿のご利益があるということです。
 
③本坊庭園   
 本坊庭園は東の山を背に山腹を利用し、大きな池と巨岩を配した池泉廻遊式の庭園です。これらの巨石は旧本坊庭園と境内の谷川から集められたものを組み合せて作成されました。
④表参道   
湖東三山の内この寺の参道は、入口から本堂までの長さが最も長い。
参道の両側には時代を感じさせる杉が林立し、苔むした石垣が続いいぇいる。
⑤赤門 
 
参道の入口に山門が建っているが朱で塗られているために赤門と呼ばれるようになった。
この門も本堂と同じ1650年に建立された。




JR西日本(びわこ線)「近江八幡」駅下車→
 →近江鉄道「八日市」駅下車→
 →タクシー15分(循環バス有)
 ※春秋にはシャトルバス運行
  詳しくは下記へお問合せ下さい。
  近江鉄道(株)鉄道部運輸課 TEL 0749-22-3303



百済寺(ひゃくさいじ)


百済寺(ひゃくさいじ)は、滋賀県東近江市にある天台宗の寺院。山号を釈迦山と称する。本尊は十一面観音、開基(創立者)は聖徳太子とされる。金剛輪寺、西明寺とともに「湖東三山」の1つとして知られる。

琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する。寺伝によれば、推古天皇14年(606年)、聖徳太子の建立という。聖徳太子は当時来朝していた高麗(高句麗)の僧・恵慈とともにこの地に至った時、山中に不思議な光を見た。その光の元を訪ねて行くと、それは霊木の杉であった。太子はその杉を、根が付いた立ち木のまま刻んで十一面観音の像を作り、像を囲むように堂を建てた。これが百済寺の始まりであるといい、百済の龍雲寺にならって寺を建てたので百済寺と号したという。百済寺の史料上の初見は11世紀の寛治3年(1089年)であり、聖徳太子創建との伝承がどこまで史実を反映したものかは不明であるが、百済寺という寺号から見て、この寺は渡来系氏族の氏寺として開創された可能性が高い。平安時代には、近江国の多くの寺院と同様、比叡山延暦寺の勢力下に入り、天台宗の寺院となっている。

平安時代から中世にかけて、かなりの規模をもった寺院だったようだが、明応7年(1498年)の火災で全焼し、その数年後の文亀3年(1503年)の兵火でも焼け、この2回の火災で創建以来の建物ばかりでなく、仏像、寺宝、記録類なども大方焼けてしまった。さらに天正元年(1573年)には織田信長の焼き討ちに遭い、またも全焼している。当時、この地に勢力をもっていた佐々木氏の一族六角氏は、観音寺城の支城である鯰江城(なまずえじょう)を百済寺の近くに築いていた。信長は自分と敵対していた佐々木氏に味方するものとして、百済寺を焼き討ちした。本堂をはじめ現在の建物は近世以降の再興である。(2014.6.23訪問)


創建年:606年 開基:伝聖徳太子 本尊:十一面観音 宗派:天台宗
⑤赤門
表門
本坊
③本坊庭園
弥勒半跏石像
④表参道
②仁王門
弁天堂
①本堂
鐘楼
千年菩提樹