宝山寺(ほうざんじ)




宝山寺(ほうざんじ)は、奈良県生駒市門前町にある真言律宗大本山の寺院。生駒聖天(いこましょうてん)とも呼ばれる。山号は生駒山(いこまさん)。1678年に湛海律師によって開かれた。本尊は不動明王。鎮守神として歓喜天(聖天)を聖天堂(天堂)に祀っている。仏塔古寺十八尊第十五番。

生駒山は伝承によれば斉明天皇元年(655年)に役行者が開いたとされる修験道場で、空海(弘法大師)も修行したと伝わる。その当時は都史陀山 大聖無動寺(としださん だいしょうむどうじ)という名であったという。江戸時代の延宝6年(1678年)に湛海律師が再興し、歓喜天を祀った。この時が事実上の開山と思われる。江戸時代には、宝山寺は商売の神として大阪商人の信仰を集めた。京都の皇室や江戸の徳川将軍家、郡山藩主柳沢家からの祈願もあり、聖天信仰の霊場として名高い。1918年には日本最初のケーブルカー、生駒鋼索鉄道(現、近鉄生駒鋼索線)が敷設されるほどだった。歓喜天を祭り、現在でも年間300万人の参拝客を集めるとされる。(2013.10.28訪問)


創建年:1678年 開基:湛海 本尊:不動明王 別称:生駒聖天 宗派:真言律宗
 



①本堂  
 1680年建築の仮本堂を現状のように建て替え、根本中堂とした。五間四面、重層の護摩堂様式。宝山寺創建当時の威風を残す唯一最古の建造物で本尊は不動明王。梁行5間、桁行5間半の規模。本堂後方に聳える山の岩屋が般若窟で山の総称は朝日嶽である。
②拝殿  
 檜皮美葺の建物、八つ棟造りといわれ棟や破風の数が多い風変わりな外観で寺院建築としては極めて珍しい。
手前が外拝殿、すぐ後方の大きな屋根が中拝殿、一番奥の火炎宝珠のあるのが大聖歓喜天を祀った聖天堂である。天堂は1686年本堂の裏に建てられ聖天像を安置、宝山寺の守り神として祀ったことに始まる。
当初は桁行二間半梁行二間の単独建物で1805年西四間の場所に移築された。1875年から同十数年にかけ現在位置に天堂と中拝殿が新築され、従来の拝殿を移設、一体化した屋根も柿葺きから檜皮葺に改められた。
③文殊堂  
 昭和53年落成を見たお堂である。それまで宝山寺には文殊堂はなく、入学試験の頃になると本堂東前にある天神様の小社に詣でる親子連れの姿が見られたが、今は文殊堂で受験合格他学問全般に渡るお願い事をする。
④観音堂  
 このお堂の前身建物は1864年ということから境内には仮本堂の他にこれというお堂がまだ無かった。宝山寺としては最も早い時期の建物である。永く萱葺きのままだったものを1843年腐朽及び火災の危険もあるので瓦屋根にすべく一旦願い出て許可されたが、計画を改て翌年に瓦葺のお堂に建て替えられた。本尊は1684年像高弐百五寸であったが現本尊は像高五尺七寸五分とことなっており途中で入れ替わったものと思われる。
⑤多宝塔  
 1957(昭和32)年に建立されたもので、塔の様式は鎌倉時代、建築細部の意匠は桃山時代様式により、内陣須弥壇及び四天柱は中尊寺に見られる藤原様式によったものである。この場所はもとの常楽殿があった所で、この地を開いたところ地下から奈良期の鋳貨和同開珎五枚が出土している。
⑥大師堂  
 当寺古図を見ると、観音堂と奥の院の中間に大師堂跡とあって、以前御堂があった事が分かる。大師堂があって当然であるが建立の機縁を得ぬまま昭和の時代にはいった。結果昭和42年に建立された。
⑦開山堂  
 1769年に建てられた御堂である。最初は5間半に3間の建物を2間に1間半だけ残して、他は正面を南向きに変え、屋根を瓦葺に改られている。
今の開山堂の正面入口に銅葺の唐破風が目を惹くが、これは昭和39年に信者の便を計って従来の御堂に附設された拝所です。



近鉄生駒鋼索線宝山寺駅、梅屋敷駅(梅屋敷駅の方が近く、本堂まで下りになるので楽である。)
信貴生駒スカイライン



開山堂
開山廟
惣門
地蔵堂
中門
水屋
①本堂
②拝殿
④観音堂
常楽殿
③文殊堂
⑤多宝塔
五社明神
大黒堂
大師堂
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