法隆寺(ほうりゅうじ) |
法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートルで、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。 |
創建年:(伝)607年 | 開基:推古天皇・聖徳太子 | 本尊:釈迦如来 | 別称:斑鳩寺 | 宗派:聖徳宗 |
法隆寺境内は国道25号線に面しこの石碑は国道の側に建てられていた。 | この石碑も左の石碑の右側に並んで建てられていた。 | 石碑からお寺に少し近づいて中門と五重塔を撮影、なかなか絵になる景色ではないかなと感じました。 | 五重塔、木造五重塔として現存世界最古のもの。心礎(心柱の礎石)は、地下3メートルにあり、心礎内からは1926年にガラス製の舎利壺とこれを納める金製、銀製、銅製の容器からなる舎利容器が発見されたそうです。本当に歴史を感じさせる塔ですね。 |
境内にあった法隆寺境内図、拡大して見て下さい。位置関係を少し頭に入れてもらえれば。 | 南大門、西院伽藍の南方、境内入口に建つ。入母屋造の一重門。室町時代(1438年)に、当時の西大門を移築し建立。建築当初は切妻屋根であったとか。ここが法隆寺の入り口です。 | 中門、入母屋造の二重門。正面は四間二戸、側面は三間。日本の寺院の門は正面の柱間が奇数(3間、5間、7間等)になるのが普通だが、この門は正面柱間が4間で、真中に柱が立つ点が特異である。門内の左右に塑造金剛力士立像が安置されていた。 |
世界遺産表示の石碑、中門の手前左側に置かれていた。 |
阿形像、日本最古(8世紀初)の仁王像として貴重なものであるとのこと。しかし迫力は十分。 | 吽形像、阿形像と同様風雨にさらされるところにあり傷みも激しいとのこと、大事にしたいものですね。 | 話は少し戻りますが南大門を入って土塀が続く景色が入った中門、五重塔。 | これも先ほど出てきた中門、五重塔です、少々くどいかも知れませんが何度見てもいい風景だと思います。 |
西院伽藍、西院伽藍は南大門を入って正面のやや小高くなったところに位置する。向かって右に金堂、左に五重塔を配し、これらを平面「凸」字形の回廊が囲む。回廊の南正面に中門(ちゅうもん)を開き、中門の左右から伸びた回廊は北側に建つ大講堂の左右に接して終わっていました。国宝に相応しい回廊だと思いました。 |
先ほどの写真は金堂正面、この写真は金堂の西側です。エンタシスの柱が分かりますか? | 金堂の東側、回廊ないです。少々光が入った写真で申し訳なしです。 | 礼拝石、奥が金堂で中門から入って(現在は我々は中門から入れません)金堂に真っ直ぐ向かったところにありました。 |
金堂、入母屋造の二重仏堂。桁行五間、梁間四間、二重、初層裳階付。上層には部屋はなく、外観のみであるとのこと。、1949年、壁画模写作業中の火災により、初層内陣の壁と柱を焼損した。黒こげになった旧壁画(重文)と柱は現存しており、寺内大宝蔵院東側の収蔵庫に保管されているが、非公開であるとのこと。しかしバランスがいいと思った |
先ほどの金堂の背後に五重塔 | 西院伽藍の東側を外から見た。一番奥に見えるのが鐘楼ですいい眺めです。 | 大講堂、桁行九間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺き。平安時代の925年に焼失後の990年に再建。薬師三尊像(平安時代、国宝)と四天王像(重文)が安置されているようです。。 |
大講堂の前にたつ八角燈籠です。同じようなものが東大寺大仏殿の前にもありました。詳細は分かりません。 | 鐘楼、経蔵と対称位置に建つが、建立時代は平安期だそうです。しかしどこを見ても国宝の連続でした。 | 経蔵、奈良時代の楼造(二階建)建築。観勒僧正坐像(重文)を安置されているようですが、内部は非公開です。 | 左に金堂、中央に中門、、右に五重塔、この並びも素晴らしいと思いました。 |
今度は五重塔からみて左に金堂、右に中門です。 | 皆さん覚えておられると思いますが正岡子規が奈良を訪れた時の句碑です。柿食えば鐘が・・・・・です。後ほどでてくる鏡池の端にありました。 | 五重塔、東から西を向いて撮ったものですから逆光に入られてしまいました。残念。 | 鐘楼、チョット気が早いのですが東院伽藍の中にある鐘楼です。始めは気が付かずフット後ろを振り向いた時に何とバランスの良い建物かと思い撮りました、これもやはり国宝です。 |
これが先ほど子規の句碑のあった鏡池です、句碑は社の向こうにありました。 | 聖霊院(しょうりょういん)西院伽藍の東側に建つ、聖徳太子を祀る堂。鎌倉時代の建立。この建物は本来は東室の一部であったが、1121年にこれを再建するときに南半を改造して聖霊院とし、聖徳太子像を祀ったとのこと。雰囲気は十分感じられた。 |
聖霊院の前を過ぎて東側から見た。 | 聖霊院の東にあった妻室(つまむろ)、 |
綱封蔵(こうふうぞう)、聖霊院の東に建つ、奈良時代~平安初期の倉庫であるとのこと。高床式になっている。 | 食堂(じきどう)西院伽藍の東方北寄りに建つ。食堂本尊の薬師如来坐像(重文)は奈良時代の塑像だが、補修が多い。本尊以外の仏像は大宝蔵院に移されているそうです。 |
大宝蔵院、中には玉虫厨子、百済観音他多くの仏像他が安置され堪能できる。 | 先ほどの聖霊院、この前に鏡池。 |
西院より東院へ向かう、見えてきたのは東大門、この門は珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建物の一つだそうです。 |
東大門へ向かう左にあった律学院等のお寺群です。 | それらのお寺の一つにあった四却門です。 | いよいよ夢殿へ、この四却門の向こうにあります。上部だけが少し見えています。 |
夢殿、奈良時代の建立の八角円堂。堂内に聖徳太子の等身像とされる救世観音像が安置されているようですしかしバランスがいい建物です。。 | 同じ夢殿を北西方向から見た。 | 伝法堂、現在では聖武天皇夫人・橘古奈可智とする説が有力の住居を移転して仏堂に改めたものとされ、奈良時代の住宅遺構としても貴重である。昭和大修理時の調査の結果、この堂は他所から移築され改造された建物で、前身建築は住居であったとみられるそうです。 |
太子殿、東院の最も北側に位置しているが中に何が収められているかは分からなかった。 |
帰りに西院あたりから振り返って東院方面を見た。距離的には随分ある。 | 弁天池、西院の伽藍の外にあった。法隆寺には先ほどのものと二つの池があった。 |
池から振り返った西院伽藍と五重塔 | なんともこの景色が好きで帰りにもう一枚。 |
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