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①本堂 | 寄棟造、本瓦葺き。正面7間、側面4間。慶長6年(1601年)、豊臣秀頼と淀殿の寄進で再建された。堂内厨子に本尊十一面観音像を安置する。高欄の擬宝珠(ぎぼし)に慶長6年の銘があり、当時は「講堂」と呼ばれていたことがわかる。前述の慶長元年(1596年)の地震の復興事業として建てられたもので、再建にあたっては、地震で倒れた前身建物の2棟の部材が再利用されている。部材に残る痕跡から復元される前身建物は、1棟が鎌倉時代、もう1棟が室町時代の建物で、前者が旧金堂 、後者が旧講堂にあたると推定されている。 |
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②鐘楼 | 鬼瓦に慶長7年(1602年)の刻銘があり、形式や細部からみてその頃の再興と考えられる。ただし、本堂と同様に、前身建物のものとみられる古い部材も混在している。二層建てとし、上層に鐘を吊る「袴腰付き鐘楼」であるが、上層に縁や高欄を設けない、珍しい形式とする。 | |
③南大門 | 妻造・本瓦葺の四脚門で、本堂と同時に再建された。 | |
④からぶろ(浴室 ) |
光明皇后が千人の垢を自ら流したという伝説のある蒸し風呂であるが、現存の建物は江戸時代の明和3年(1766年)のものである。建造物としてではなく、民俗文化財として国の指定を受けている。 | |
⑤横笛堂 | 横笛堂 - かつて南門を出て左側の飛地境内にあったが、赤門の東側に移築されている。『平家物語』や高山樗牛の小説『滝口入道』で知られる悲恋物語のヒロイン・横笛が尼となった後に住んだとされる建物。横笛が手紙の反故(ほご)で自らの姿を作ったという伝承のある張り子の横笛像(高さ約30センチメートル)が安置されていたが、本堂に移されている。 | |
⑥客殿 |
本堂裏手にある書院造建築。庭園は国の名勝に指定されている。 |
法華寺(ほっけじ) |
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創建年:745年 | 開基:光明皇后 | 本尊:十一面観音 | 別称:法華滅罪之寺 | 宗派:光明宗 |