⑦若宮社
⑩遙拝所
①御本殿
本宮`
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①御本殿   

現在の御本殿は、文政9年(1826)に、近郡の氏子の奉納により造営されました。それより以前、『御神徳記』によりますと、天喜4年(1056)と宝治元年(1247)に焼亡し、其の都度造営され、文明9年(1477)にも近郡の氏子により造営されたと記されています。また、天正7年(1579)年9月、織田信長の兵火により類焼をうけ、本殿以下諸建物が焼失しましたが、慶長7年(1602)豊臣秀頼公が社殿の造営をし立派に復旧しました。その後、徳川の時代にはいり、当社に対する崇敬は薄れて衰退を余儀なくされましたが文政9年に造営がなされ、その後屋根の葺き替えや塗替え修理がおこなわれ、最近では平成の大修造(平成元年から3年)を経て現在に至っております。 

②拝殿   
明治12年に新築されました。平成の修造で檜皮葺きから、銅板葺きに葺き替えられました。正面に掲げられた神額は、三條實美公揮毫であります。 
③中門 
 
明治12年に改築、明治38年に現在の場所に移設され、昭和26年、平成3年に修復され現在に至っています。 
④二の鳥居 
 
現在の鳥居は昭和54年竣工。明治19年、昭和9年に改築を経て現在に至っております。鳥居の額面は、大正4年に奉納されたもので、この年には伏見宮女王殿下御参拝、又大嘗祭奉告祭に勅使がつかわされ祭礼がおこなわれました。 
⑤斎館 
 
昭和10年竣工の建物。それまでも建物は存在しましたが、昭和12年貞明皇太后行啓をお迎えするにあたり建替えられました。 
⑥授与所 
 
昭和10年に新築されました。元々この場所には奏楽舎がありました。現在は、御札御守り等の授与所になっています。石垣の上に建てられており、裏にはお滝があって古くより禊場となっています。 
⑦若宮社   
天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)がお祀りされています。 天児屋根命と比売御神の間に生まれた御子神様です。この神様は、天児屋根命の命によって、天の二上に登り、皇御孫尊(すめみまのみこと)の御膳水(みけつみず)を取ってきたと伝えられております。社殿は、明治20年に改築され現在にいたっております。 
⑧天神地祇社  

この社には、もと境内にあった19末社の椿本社(猿田彦神)、青賢木社(天磐立神)、太力辛雄社(天手力雄命)、勝手社(受鬘神)、地主神(枚岡社地の地主神)、笠社(風神)、住吉社(住吉明神)、飛来天神社(天之御中主命)、岩本社(岩本明神)、佐気奈辺社、一言主社(一言主神)、坂本社(山王権現)、素盞鳴命社(素盞鳴命)、八王子社(王子八神)、戸隠社(天八意思兼命)、大山彦社、門守社(櫛石窓神・豊石窓神)、角振社(角振神)、官者殿社(素盞鳴命の荒霊)と合せて、氏子近郡の村の氏神としてお祀りされていた、出雲井村の八坂神社、豊浦村の春日神社・東山神社、額田村の額田神社・若宮八幡宮社・山神社・蛭児神社、五条村の八幡宮社、客坊村の一杵島姫神社、四条村の春日神社・素盞鳴命神社、松原村の春日神社・八幡宮社等の神々が、明治5年に合祀されお祀りされています。
 

⑨鶏鳴殿 
 
社務所として、また御祈祷の控室や結婚式の控室・会食会場、各種会議などの場として使われています。平成4年に新築されました。 
⑩遙拝所 
 

榊の木を通して、宮中の皇霊殿(春分・秋分の皇霊祭)・伊勢神宮(神嘗祭)橿原神宮(紀元祭)を遥拝する他、神津嶽を遥拝する所です。

 
⑪一の鳥居   

二之鳥居より約800m西にある鳥居で、昔の東高野街道に面して建てられており、ここからが枚岡神社への参詣道となっています。東側正面に聖地神津嶽を仰ぎ望むことができます。

建立は古く、この鳥居に掛かる注連縄は、古くより地元鳥居町氏子の手により作られ、毎年1月3日に掛け替えが行われています。平成7年阪神淡路大震災の影響で損傷がみられたため、平成10年に鳥居町をはじめ氏子の奉加により改修されました。


近鉄奈良線 枚岡駅 (駅の東側からすぐ)




枚岡神社(ひらおかじんじゃ)





枚岡神社(ひらおかじんじゃ)は、大阪府東大阪市にある神社。式内社(名神大社)、河内国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

春日大社の勧請元のため、元春日の別称がある。神紋は春日大社と同じ「下がり藤」。

枚岡梅林はかおり風景100選の一つとされる。鳥居から坂を上り、46段ほどの階段を登ると拝殿に着く。1853年(嘉永6年)に駅前に建てられた社名標には「元春日平岡大社」とあり「平岡」の表記や大社号が使われていたとわかる。

一の鳥居は神社からは線路の向こう側となる枚岡駅の西側にある。駅から少し登ったところに二の鳥居がある。二の鳥居脇の社名標は1907年(明治40年)に日露戦争戦勝を記念したもので、三条実美の書物から字を拾った。

社伝によれば、神武天皇紀元前3年(神武天皇即位の3年前)、神武天皇の侍臣で中臣氏の祖の天種子命(あめのたねこのみこと)が、天皇の命で神津岳の頂に祖神の天児屋根神を祀ったのが創建とされる。「平岡(枚岡)」の社名は神津岳の頂が平らだったのによる。中臣氏の支流の平岡連(ひらおかのむらじ)の氏神とされた。白雉2年(650年)、平岡連によって山頂から中腹の現在地に移された。山頂には現在も奥宮がある。

神護景雲2年(768年)、奈良の春日大社に祭神二柱を分祀し、元春日社とされる。宝亀9年(778年)には春日大社から武甕槌命と斎主命の二神の分霊を奉斎した。『延喜式神名帳』では名神大社に列し、中世には河内国一宮とされた。明治4年(1871年)、官幣大社に列した。(2014.2.12訪問)


創建年: 神武天皇紀元前3年 主祭神: 天児屋根大神、比売大神、武甕槌大神、斎主大神
③中門
⑪一の鳥居
④二の鳥居
⑤斎館
⑥授与所
②拝殿
⑨鶏鳴殿
⑧天神地祇社