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①大極殿 
 
 明治27年建造、宮殿建築・碧瓦本葺・丹塗高さ16.7m・桁行33.3m・梁行12m
②白虎楼・蒼龍楼   
 明治27年建造、屋根中央と四隅に望楼を設けた二重閣 碧瓦本葺・丹塗
③応天門 
 
 明治27年建造、二層楼碧瓦本葺・丹塗高さ19.3m
④大鳥居 
 
 昭和4年建造、明神形・鉄筋コンクリート造・丹塗高さ24.2m・柱真真18.2m・柱直径3.63m・笠木長さ33m
⑤尚美館 
 
大正元年建造、 京都御所より移築される。木造屋根入母屋造桧皮葺
⑥泰平閣 
 
大正元年建造、 京都御所より移築される。木造寄棟重層造り総桧皮葺




京阪鴨東線 神宮丸太町駅(東へ徒歩約15分)、および京都市営地下鉄東西線 東山駅(北へ徒歩約10分)。
京都市営バス 「岡崎公園美術館・平安神宮前」(5・急行100系統)下車、約3分。32・46系統は「岡崎公園ロームシアター京都・みやこめっせ前」下車、約3分。



平安神宮(へいあんじんぐう)


平安神宮(へいあんじんぐう)は、京都府京都市左京区にある神社である。旧社格は官幣大社、勅祭社。現在は神社本庁の別表神社。

1895年(明治28年)4月1日に平安遷都1100年を記念して京都で開催された内国勧業博覧会の目玉として平安京遷都当時の大内裏の一部復元が計画された。当初は実際に大内裏があった千本丸太町に朱雀門が位置するように計画されたが、用地買収に失敗し、当時は郊外であった岡崎に実物の8分の5の規模で復元された。博覧会に先立つ3月15日には、平安遷都を行った天皇であった第50代桓武天皇を祀る神社として創祀された。皇紀2600年にあたる1940年(昭和15年)に、平安京で過ごした最後の天皇である第121代孝明天皇が祭神に加えられた。平安神宮では、京都を守る四神の御守が授与されている。

1976年(昭和51年)1月6日、火災(平安神宮放火事件)が発生し本殿・内拝殿など9棟が炎上、焼失した。ただし、外拝殿である大極殿は延焼をまぬがれている。創建が比較的新しかったことから、当時はこれらの建物は文化財指定を受けていなかったため、再建のための国からの補助金が見込めなかった。しかし、全国からの募金により、本殿や内拝殿は3年後に再建された。

社殿は平安京の大内裏の正庁である朝堂院(八省院)を縮小(長さ比で約8分の5)して復元したものである。大きく赤く光る朱色が特徴的な正面の門は、朝堂院の應天門を模している。その内側の左右の殿舎は朝集堂の再現である。外拝殿は朝堂院の正殿である大極殿(左右には蒼龍楼と白虎楼が付属する)を模している。

  • 基本的にはこれらの建築様式は、平安時代後期(11 - 12世紀)の第3次八省院(延久4年〈1072〉再建、治承元年〈1177〉焼亡)を再現したものとなっている。この時の大極殿などの姿は、後白河法皇が作らせた「年中行事絵巻」に描かれている。ただ、大極殿と応天門の間には本来は会昌門と朝堂12堂が存在し、応天門の左右には翔鸞楼と栖鳳楼という楼閣が付属していたが、これらは平安神宮では復元されていない。また、平安神宮の社殿の瓦はすべて緑釉瓦となっているが、近年の研究によると平安時代の大極殿では軒先と棟部分だけにしか緑釉瓦は使われていなかったと推定されている

平安神宮神苑(へいあんじんぐうしんえん)は京都府京都市左京区にある池泉回遊式の近代日本庭園。平安神宮の大極殿背後の周囲三方に配された南神苑、西神苑、中神苑、東神苑で構成される。面積は33,000平方メートル、作庭は小川治兵衛、国の名勝に指定されている。(2014.3.23訪問)


創建年:1895年 主祭神:桓武天皇、孝明天皇


泰平閣
①大極殿
東神苑
西神苑
中神苑
尚美館
白虎楼
②蒼龍楼
④大鳥居
南神苑
③応天門
額殿