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①本堂  
室町時代の建築だが、全体の意匠は寝殿造風である。入母屋造で妻入(屋根の形が三角形に見える方向を正面とする)とするのは仏堂建築には珍しい。寺の説明には文正元年(1466年)建立とあるが、文化庁の資料では棟木銘から文明4年(1472年)建立としている。内部には本尊阿弥陀如来坐像と四天王立像を安置する。内陣の柱には阿弥陀如来に随って来迎する二十五菩薩の像が描かれている。 
②多宝塔 
 
元多宝塔は応仁の兵火で焼失し、次の塔は大正9年鎌倉に移築され、三代目の塔は昭和61年から平成2年に亘って再建された。運慶作の大日如来像が安置されている。  
③春日堂・白山堂   
1228年春日大社、造営のおり、藤原時定が旧社殿を寄進した、全国で最も古い春日造社殿。表は入母屋、裏は切妻で鎌倉初期社殿の特色を現している。大正5年の解体修理のおりに堂内から発見された棟札(むなふだ)6枚は貴重な文献で、社殿とともに国宝に指定されている。  
④宇賀神本殿 
 
書道の神様として信仰されている。鎌倉時代に建てられた春日造社殿の向拝を唐破風にした県内最古の社で。  
⑤拝殿   
1675年建立。平成7年解体修理がなされた。
北には半蔀(しとみ)戸と舞良(まいら)戸、西には諸折両開(もろおれりょうびらき)戸を設け、南側には窓がつけられている。西と北側に縁が廻されている。  
⑥護摩堂 
 
享保時代に再建された護摩堂が老朽化のため取り壊された、その跡に 平成6年、不動明王、弘法大師、文殊菩薩を祀るお堂として建立された。
⑦楼門   
1466年応仁の兵火で焼失し、1468年に再建された。三間一戸入母屋(いりもや)桧皮葺(ひわだぶき)。明治39年(1906)特別建造物に指定され、大正4年(1915)、解体修理が行われた。  
⑧鐘楼 
 
入母屋瓦葺で上半四方に連子窓がはめられている。1667年の再建で、昭和36年解体修理がなされた。梵鐘は、昭和45年に寄贈されたもの。  
⑨円成寺庭園 
 
楼門前の苑池を主とした庭園は、平安末期に築造したと伝えられる。浄土式庭園を基盤としたものであり、寝殿造系庭園の配置を備えた舟遊式庭園として、名勝に指定されている。。  


JR関西本線および近鉄 奈良駅より奈良交通バス柳生方面行で約40分、「忍辱山」バス停下車、徒歩すぐ



②多宝塔
⑤拝殿
⑧鐘楼
④宇賀神本殿
①本堂
③春日

白山堂
⑥護摩堂






















































































円成寺(えんじょうじ)




円成寺(えんじょうじ)は、奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)にある真言宗御室派の仏教寺院。山号は忍辱山(にんにくせん)、本尊は阿弥陀如来。

奈良市街東方の柳生街道沿いに位置する古寺で、仏師・運慶のもっとも初期の作品である国宝・大日如来像を所蔵する。

天平勝宝8歳(756年)、聖武・孝謙両天皇の勅願により、鑑真の弟子にあたる僧・虚瀧(ころう)により開創される。万寿3年(1026年)に命禅が再興して十一面観音を祀ったという。しかし、鑑真とともに来日した僧の中に虚瀧なる人物は実在せず、奈良時代にさかのぼる遺品、出土品等も見当たらない。以上のことから、この草創縁起は後世の仮託と思われ、「中興の祖」とされている命禅が円成寺の実質的な開基であると推定されている。

平安時代末期の保元元年(1156年)、京都仁和寺の寛遍が東密忍辱山流(とうみつにんにくせんりゅう)を開き、寺運は興隆した。この頃に本尊が当初の十一面観音から阿弥陀如来に代わったと思われる。

室町時代、応仁の乱(1466年-1476年)の兵火により堂塔伽藍の大半が焼失したが、栄弘が入り再興された。江戸時代は寺中に子院23か寺を有するほどであった。明治の廃仏毀釈による混乱により衰え、現在に至る

正門にあたる楼門の前には平安時代の面影を残す、池を中心とした浄土式庭園(名勝)が広がる。楼門を入ると本堂を中心に鎮守社の春日堂、白山堂、宇賀神本殿、多宝塔などが建つ。

現存する多宝塔は平成2年(1990年)の再建で、旧多宝塔は大正9年(1920年)、老朽化のため撤去された。ちなみに、鎌倉市の長寿寺にある観音堂は、旧円成寺多宝塔の初層部分の材を用いて建てられたものである。(2014.7.23訪問)




創建年:756年 開基:伝・虚瀧、聖武・孝謙両天皇 本尊:阿弥陀如来 別称:・・・ 宗派:真言宗御室派
⑨円成寺庭園
⑦楼門