③正寝殿
②御影堂
⑤村雨の廊下
①宸殿
④五大堂
⑦勅使門
大覚寺(だいかくじ)




大覚寺(だいかくじ)は、京都市右京区嵯峨にある、真言宗大覚寺派大本山の寺院。山号を嵯峨山と称する。本尊は不動明王を中心とする五大明王、開基は嵯峨天皇である。嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院である。また、後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院である。また、嵯峨天皇に始まるという華道嵯峨御流を今に伝える寺でもある。

時代劇の撮影所が多い太秦の近くということもあり、寺の境内(大沢池や明智門など)は(特に時代劇の)映画やテレビなどの撮影によく使われている

嵯峨野の北東に位置するこの地には、平安時代初期に在位した嵯峨天皇が離宮を営んでいた。嵯峨天皇の信任を得ていた空海が、離宮内に五大明王を安置する堂を建て、修法を行ったのが起源とされる。嵯峨天皇が崩御してから30数年後の貞観18年(876年)、皇女の正子内親王(淳和天皇皇后)が離宮を寺に改めたのが大覚寺である。淳和天皇の皇子(嵯峨天皇には孫にあたる)恒貞親王(恒寂(ごうじゃく)法親王、仁明天皇の廃太子)を開山(初代住職)とした。

鎌倉時代になると、亀山法皇や後宇多法皇が入寺し、ここで院政を行ったため嵯峨御所(さが ごしょ)とも呼ばれた。なかでも、後宇多法皇は伽藍の整備に力を尽くしたため、「中興の祖」と称されている。亀山法皇・後宇多法皇の系統は当寺にちなんで「大覚寺統」と呼ばれ、後深草天皇の系統の「持明院統」と交代で帝位についた(両統迭立)。この両系統が対立したことが、後の南北朝分裂につながったことはよく知られる。元中9年(1392年)、南北朝の和解が成立し、南朝最後の天皇である後亀山天皇から北朝の後小松天皇に「三種の神器」が引き継がれたのも、ここ大覚寺においてであった。

このように、皇室ゆかりの寺院であり、代々法親王が住職となった門跡寺院であるため、現在でも御所風の雰囲気がただよっている。御所跡地が国の史跡に指定されている。(2014.2.26訪問)


創建年:876年 開基:嵯峨天皇 本尊: 不動明王ほか五大明王 別称:大覚寺門跡、旧嵯峨御所 宗派:真言宗大覚寺派
⑨霊明殿
⑧霊宝殿
⑥心経殿
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①宸殿   

東福門院(後水尾天皇中宮)の旧殿を移築したものと伝える。蔀戸(しとみど)を用いた寝殿造風の建物で、屋根は入母屋造、檜皮葺きとし、周囲に広縁をめぐらす。「宸殿」は門跡寺院に特有の建物名で、「宸」は「皇帝」の意である。内部は大きく4室に分かれ、南正面の西側が「牡丹の間」(33畳)、東側が「柳松の間」(18畳)、奥の西側が「紅梅の間」(22畳)、東側が「鶴の間」(12畳)である。各室には襖絵があり、中でも「牡丹の間」の牡丹図と「紅梅の間」の紅梅図の襖絵(ともに狩野山楽筆)は著名である(襖絵のオリジナルは収蔵庫に収められ、現在ここにある襖絵は複製である)。前庭には一面に白砂が敷き詰められ、右近の橘と左近の梅(左近の「桜」ではない)がある。
 
②御影堂   
入母屋造、桟瓦葺き。伽藍の中心部に位置し、北側に建つ心経殿の前殿である。この建物は大正天皇の即位式に使用された饗応殿を下賜され、大正14年(1925年)、後宇多法皇600回忌を機に大覚寺へ移築されたものである。堂内の中心部は北側に建つ心経殿の拝所となり、その左右に大覚寺にゆかりの深い嵯峨天皇、弘法大師(空海)、後宇多法皇、恒寂法親王の像を安置する。 
③正寝殿   
重要文化財指定名称は「大覚寺客殿(対面所)」。入母屋造、檜皮葺き。桃山時代建立の書院造建築で、内部は大小12の部屋に分かれる。間取りは、東列は北から南へ「剣璽の間」「御冠の間」「紅葉の間」「竹の間」の4室(各8畳)、中央列は北が「雪の間」、南が「鷹の間」(各12畳)、西列は3間×1間半の細長い部屋(9畳)が2室で、北が「山水の間」、南が「賢人の間」である。これら諸室の南側と東側には幅1間の「狭屋」がある。御冠の間(「上段の間」ともいう)には玉座があり、後宇多院が院政を行った部屋を再現したものである。障壁画は狩野山楽および渡辺始興の筆。 
④五大堂   
大覚寺の本堂。境内東側に位置する。天明年間(1781-1789年)の建立。当初は伽藍の中心部(御影堂前の現在、石舞台がある位置)にあったが、大正14年(1925年)、御影堂が移築された際に現在の位置に移動した。元来この堂の本尊であった鎌倉時代作の五大明王像は収蔵庫に移され、現在は松久朋琳・松久宗琳が昭和50年(1975年)に完成した五大明王像を本尊として安置している。堂は写経道場として用いられており、堂の東側の縁からは大沢池を望むことができる。 
⑤村雨の廊下 
 
各お堂を結ぶ廊下。縦の柱は雨、直角に曲がった廊下を稲妻に例えている。天井は刀が振り上げられように低く作られており、床は歩くとキュ、キュとなる鶯張りになっている。 
⑥心経殿   
御影堂の北に建つ。大正14年(1925年)建立の鉄筋コンクリート造の小規模な八角堂で、壁面は校倉造風である。内部には嵯峨天皇、後光厳天皇、後花園天皇、後奈良天皇、正親町天皇、光格天皇の直筆の般若心経を収蔵し、薬師如来像を安置する。内部は非公開で、開扉は60年に一度とされている。建物は国の登録有形文化財に登録されている。 
⑦勅使門 
 
1848~1854に再建された。四脚門で屋根は切妻、全体は素木造りで唐破風の部分だけ漆が塗られ、金鍍金の飾り装飾が施されている。 
⑧霊宝館   
桃山時代の狩野派の襖絵や江戸時代の渡辺始興筆、平安時代後期の仏師 明円作の”五大明王像”などが納められている。
⑨霊明殿 
 
総理大臣を務めた斎藤実が昭和3年(1928年)、東京の沼袋(現・中野区沼袋)に建てた日仏寺の本堂だったもの。昭和33年(1958年)、当時大覚寺門跡であった草繋全宜(くさなぎぜんぎ)が移築した。縁板まで含め総朱塗りとした建物で、阿弥陀如来を本尊とする。 



京都市営バス・京都バス大覚寺下車すぐ