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①本堂 | 棟木銘から弘安2年(1279年)に建立されたとわかる入母屋造・檜皮葺の建物である。和様を基調にしつつ扉(桟唐戸)・頭貫(かしらぬき)の木鼻(用材の端部に装飾彫刻を施す)の意匠などには大仏様を採り入れるなど鎌倉時代の新和様の典型的な建築といえる。内部は柱間3間にわたる長大な虹梁(こうりょう)を架け、礼拝空間である外陣(げじん)を広く取っているのが特色である。 | |
②三重塔跡 | 長弓寺にはかつて鎌倉時代建立とされる三重塔があったが再度の移転の末、現在は初層部分のみが東京都港区の高輪プリンスホテルに移築されている。昭和9年(1934年)の室戸台風で長弓寺は本堂の屋根が大破するなどの大きな被害を受けた。寺では修理費用捻出のため、三重塔を売却することとなった。なお三重塔の二層・三層は早くに失われており、当時すでに初層のみが残っている状態であったらしい。塔はいったんある実業家の所有となって鎌倉市に移築された後、昭和29年(1954年)に高輪プリンスホテル庭園内に移築され「観音堂」と称されている。同ホテルには他にもと長弓寺にあった門と鐘楼も移築されている。 |
長弓寺(ちょうきゅうじ) |
長弓寺の創建についてはいくつかの説があり、定説を見ない。『長弓寺縁起』によると奈良時代に息子の流れ矢に当たって死んだ豪族・真弓長弓(まゆみたけゆみ)を悼み聖武天皇が僧・行基に開かせたと伝わり、後に藤原良継が堂塔を整えたとされる。盛時には塔頭が20院あったとされるが、現在は4坊が残るのみである。 伝承によれば神亀5年(728年)、鳥見郷の小野真弓長弓(おののまゆみたけゆみ)という人物が聖武天皇に随行して狩りに出た。同行していた長弓の息子・長麻呂が不思議な鳥が飛び立つのを見て矢を放ったところ矢は誤って長弓に当たり、彼は死んでしまった。不運な長弓父子を哀れんだ聖武は僧・行基に命じて一寺を建立させた。行基は十一面観音像を安置してこれを本尊とした。十一面観音像の頭頂には仏面が乗っているが、これは聖武の弓を刻んだものだという。なお「鳥見(登美)」は長弓寺の位置する生駒山東麓を指す古い地名で、神武天皇東征神話にも登場する。現在の奈良市西部から生駒市にあたる。 その後、桓武天皇(737年 - 806年)の時代に藤原良継(716年 - 777年)が再興したというが桓武の即位は良継没後の781年であるので時代的に合わない。別の伝承では平安時代初期に藤原緒継(774年 - 843年)によって創建されたともいう。 以後、中世までの沿革はあまりはっきりしていないが現在の本堂は棟木銘から弘安2年(1279年)の建立であることが明らかで真言律宗の祖・叡尊(1201年
- 1290年)によって再興されたものである。 |
創建年:不明 | 開基:行基 | 本尊:十一面観音 | 別称:・・・ | 宗派:真言律宗 |