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知恩院(ちおんいん)





知恩院は、浄土宗の宗祖・法然房源空(法然)が東山吉水(よしみず)、現在の知恩院勢至堂付近に営んだ草庵をその起源とする。法然は平安時代末期の長承2年(1133年)、美作国(岡山県)に生まれた。13歳で比叡山に上り、15歳で僧・源光のもとで得度(出家)する。18歳で比叡山でも奥深い山中にある西塔黒谷の叡空に師事し、源光と叡空の名前の1字ずつを取って法然房源空と改名した。法然の住房は現在の知恩院勢至堂付近にあり、当時の地名を取って「吉水御坊」「大谷禅坊」などと称されていた。ここでの法然の布教活動は、流罪となった晩年の数年間を除き、浄土宗を開宗する43歳から生涯を閉じた80歳までの長きにわたり、浄土宗の中心地となった。ここに法然の廟が造られ、弟子が守っていたが、嘉禄3年(1227年)、延暦寺の衆徒によって破壊されてしまう。文暦元年(1234年)、法然の弟子にあたる勢観房源智が再興し、四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を下賜された。その後も永享3年(1431年)の火災や応仁の乱などで焼失するが、その都度再興されている。現存の三門、本堂(御影堂)をはじめとする壮大な伽藍が建設されるのは江戸時代に入ってからのことである。浄土宗徒であった徳川家康は慶長13年(1608年)から知恩院の寺地を拡大し、諸堂の造営を行った。造営は2代将軍徳川秀忠に引き継がれ、現存の三門は元和7年(1621年)に建設された。寛永10年(1633年)の火災で、三門、経蔵、勢至堂を残しほぼ全焼するが、3代将軍徳川家光のもとでただちに再建が進められ、寛永18年(1641年)までにほぼ完成している。
(2013.8.15)


創建年:1175年 開基:法然 本尊:法然上人像 別称:華頂山知恩教院大谷寺 宗派:浄土宗



 
 
 
 
 境内配置図、これを見ながら各写真の位置を確認してもらえば有り難いです。  円山公園から知恩院へ入る門。  三門、本堂へ向かう急勾配の石段の途中に西面して建つ。元和7年(1621年)の建立(平成の大修理で同年の墨書が発見されている)。「二重門」は2階建てで、1階・2階の両方に軒の張りだしがあるものをいう。)高さ24メートルの堂々たる門で、東大寺南大門より大きく、現存する日本の寺院の三門(山門)のなかで最大の二階二重門であるとのこと。
 三門を正面から見た、堂々として立派であった。
 
 
 
 
 男坂、三門まで上がって更にこの急な坂、夏場にはこたえる。  男坂の途中にまるで城郭にあるような石垣が、やはり江戸時代の護りの一部なのか?  階段を上りきった所から振り向き三門を撮影、どこからみても堂々としている。  ご覧のとうり御影堂は平成の大修理とのことで覆われていた。。寛永16年(1639年)徳川3代将軍徳川家光によって建立。宗祖法然の像を安置することから、御影堂(みえいどう)とも呼ばれる。又、知恩院で最大の堂宇である事から、大殿(だいでん)とも呼ばれる。入母屋造本瓦葺き、間口44.8メートル、奥行34.5メートルの壮大な建築で、江戸幕府造営の仏堂としての偉容を示している。建築様式は外観は保守的な和様を基調としつつ、内部には禅宗様(唐様)の要素を取り入れているとのこと。
 
 
 
 
 多宝塔、他の建築物に対しちょっと似つかわしくないかな、と思わせる塔であった。霊塔とも表記してあった。  法然上人像、御廟へ向かう階段の左に祀ってあった。この右に次の写真の知恵の道の石碑がありました。  ねねの道 - 知恵の道、神幸道と合わせて東山参道(三つの道)と言い、円山公園付近で接続して、それぞれ知恩院、八坂神社へと続いているとのこと。
 阿弥陀堂、本堂の向かって左に東面して建ち、本尊阿弥陀如来坐像を安置する。明治時代の再建だが、正面に掲げられている「大谷寺」という勅額は、後奈良天皇の宸筆であるとのこと。
 
 
 
 
 阿弥陀堂前を直進し四脚門に行き着く。ここから引き返して御影堂方面に移動。  宝仏殿、本堂の南側に北面して建つ寄棟造の仏堂。平成4年(1992年)の建立で、内部には阿弥陀如来立像と四天王像を安置しているそうです。  大鐘楼、宝仏殿裏の石段を上った小高い場所に建つ。延宝6年(1678年)の建立。ここにある梵鐘(重要文化財)は日本有数の大鐘で、寛永13年(1636年)の鋳造である。この鐘楼で除夜の鐘を突く模様は年末のテレビ番組でたびたび紹介されていますよね。

 納骨堂、ゆったりとした弧を描いた石橋の奥に納骨堂がありました。建物としてはバランスのとれたいいものだと感じました。
 
 
 
 
 経蔵、本堂の東方に建つ宝形造本瓦葺き裳階(もこし)付きの建物。三門と同じ元和7年(1621年)に建立された建物で、徳川二代将軍・秀忠寄進による宋版大蔵経六千巻を安置する輪蔵が備えられているそうです。  御廟へ向かう急な階段、やはり夏にはこたえる。  法然上人御廟、法然上人の死後、門弟たちの手によって勢至堂の東に建てられたもので法然の遺骨を納めている。浄土宗総本山として大伽藍を擁する知恩院にあって、喧騒から隔離された祈りの空間となっている場所にあった。
 法然上人の御廟の奥にあった唐風の御廟、趣があった。
 
 
 
 
 勢至堂、境内東側、急な石段を上った先の小高い場所にあり、本地堂とも呼ばれるとか。付近は法然の住房のあった地である。入母屋造本瓦葺き。寺内の建物では最も古く、室町時代享禄3年(1530年)の建築。建立当初は本堂(御影堂)であったらしい。内陣厨子内に安置する本尊勢至菩薩坐像は鎌倉時代の作で、2003年に重要文化財に指定されている。
 帰りに三門をもう一枚・・・ 知恩院から西に歩き東大路どうりに出る手前に寺の石碑があった。  石碑の手前に新門と呼ばれる門がありました。



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